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 日曜日のラジオ深夜便2時台ロマンチックコンサートでレッド・ツェッペリン特集を聴きました。

 

 ツェッペリンがメジャーデビューした当時はまだラジオを聴くような年齢ではありませんでしたので、今一つ耳馴染みが在りません。勿論、《移民の歌》《ブラック・ドッグ》《天国への階段》など聴いたことは在るものの、好きかと訊かれるとなかなか即答出来ません。

 

 一方、その前日土曜日のロマンチックコンサートはアルフレッド・ハウゼ特集。予備校生のときに屡々通っていた丸太町堀川上ルの喫茶店でタンゴが好きになり、大学生になってからはアストル・ピアソラのみならず、随分古いタンゴのレコードも聴き込みましたので、耳馴染みという意味ではこちらのほうが耳馴染みが在ります。

 特集冒頭はアルフレッド・ハウゼ楽団の代名詞とも言うべき《碧空》《夜のタンゴ》。続く《奥様お手をどうぞ》《小さな喫茶店》と後半に登場した《オー・ドンナ・クララ》、藤山一郎先生が戦前にき込んだレコードで聴いたことが在ります。戦前の日本人歌手によるタンゴと言えば、《ブギウギ》で話題の淡谷のり子先生も数多くのタンゴを吹き込んでいらっしゃいましたし、四家文子さんの名まえも挙げることが出来ますね。

 

 途中、アルゼンチンタンゴから《ママ、恋人が欲しいの》《さらば草原よ》《カミニート》が掛りました。前2者は邦題よりも《Mama,Yo qiero un novio》とか《Adios,pampa mia》と言わないと雰囲気が出ませんが、何れも藤沢嵐子とそのオルケスタティピカの演奏が有名。曲目を逐一挙げると切りがありませんが、コンチネンタルとは言え久々にタンゴのリズムを聴いてほっこりしました。

 この日もいろいろ忙しく過ごしましたが、朝から一山片付けた後に、休職中の職員の指定医師診断書を受け取りに京急に飛び乗って横浜に行って来ました。黄金町で降り、大岡川の桜並木に沿って少し歩いてから栄橋を渡ると、定休日でブラインドが下りていましたが、マンションの1Fに《こねるねこ》という可愛らしいお名まえのベーカリーが目に止りました。同じ用事で同じ場所に行く度に歩く道を変えていると、新たな発見が在るものです。
 
 さて、戻って来てから漸くニュースに目を通すと、東京新聞okyo Webに間もなく閉館する吉祥寺プラザの記事が掲載されていました。

 シネマコンプレックスに圧されて数少なくなった《スクリーン1つ》の映画館でした。記事によると、

 

「吉祥寺プラザは1956年に『吉祥寺東映』として開館。216席あり、(中略)97年、アニメに力を入れていた当時の支配人が、東宝関係者に『吉祥寺で《もののけ姫》をかける劇場がない』と相談され、劇場名を『吉祥寺プラザ』に変更してまで『もののけ姫』を上映。前日まで東映の『失楽園』が大入り満員という状況での決断は関係者を驚かせたとの逸話が残る。」

 

とのこと。《もののけ姫》は1日1,800人が来場する大ヒットとなり、その後《呪術廻戦》に登場する映画館のモデルにもなったとか。ところが、ミニシアターの例に漏れず、吉祥寺プラザもデジタル映写機への更新費用が重く圧し掛かり、客足もコロナ前に比べて減少したため、1月31日を以て止む無く閉館することになったそうです。

 

 1月19-31日のサヨナラ公演は吉祥寺プラザに所縁の深い《もののけ姫》と宮崎駿監督最新作でアカデミー賞にもノミネートされた《君たちはどう生きるか》とのこと。2021年に三浦春馬さんの遺作《天外者》を観に行かなかったことが返す返す残念でなりません。

 

 4Fのバッティングセンターも閉店するそうなので、ビル全体を建て替えるのでしょうかはてなマーク

 

 吉祥寺のミニシアターと言えば、今は亡きバウスシアターを思い出しますが、すっかり元の場所が判らなくなりました。調べてみると、ラウンドワンの立っている場所がバウスシアターの跡地だとか。

 

 まだオデオンもアップリンクも在りますから、わざわざ調布・立川・イオンモールむさし村山に出掛けなくても吉祥寺で映画を観ることは出来ますが、バウスや吉祥寺プラザのような小さな映画館が無くなるのは寂しく感じました。尤も、吉祥寺プラザはクレジットカードが使えなかったので、看板を見て映画を観たくなってもお金をコンビニで下ろさなければならなかったのが面倒でした。