ロシアによるウクライナ侵攻以来、戦火の下に居るキーウの友人たちや日本に避難したウクライナ人にインタビューして、戦時下の生活や感情を日本人に伝えて来たカーチャでしたが、自ら戦時下の生活や感情を共有すべく、ポーランドから陸路でキーウに戻っていたので驚きました。
戦時下に於いても、以前と変らない通勤通学の風景が在る一方、突然着弾するミサイルによって一瞬でこのような風景が引き裂かれることもまた日常という常時緊迫した雰囲気。
日本は外地の戦争を利用して国民を統制して来ましたが、昭和19年に空襲が始まってから漸く自分たちの生活や生活基盤が跡形も無く破壊される経験をしたものですから、わたしを含む日本人は「国同士の戦争というのは本当はこういうことなのだ」ということを十分理解していないようです。
改めて、遅まき乍ら、「国同士の戦争というのは本当はこういうことなのだ」ということが今回の番組を通して約80年間戦争を体験していない日本人にも伝わったのではないでしょうか
番組の中で、日本の小学生から高校生に当る時期を同じクラスで過ごしたクラスメートの同窓会が採り上げられていましたが、このうちの2名が戦場に居るため出席出来ませんでした。カーチャはこの元男子生徒にもTV電話でインタビューしていましたが、印象に残ったのは、カーチャが「何のために戦うの」と尋ねたとき、元男子生徒が「自由のため」と即答したことでした。
総動員体制下で自由そのものを抑圧して来た日本国内に於いては、このような明確な意思を誰も持つこと無く、戦場に赴く理由を一人ひとりが苦しみ乍ら模索しなければならなかったのに対して、堂々と「自由のため」と言えることに唯一の救いを感じました。
グテーレス国連事務総長の悲痛な談話を聞きました。コロナ禍から漸く少し抜け出せたかと思えた2023年は歴史に残る禍々しい年になったものです。
話は変って・・・・・・。
御用納めのこの日も、休職者の休職期間更新及び復職手続に奔走したわたし。品川から京急▶都営浅草線で日本橋に向い、東京メトロ東西線で最初は東陽町のクリニックへ。続いて、東陽町から1駅先の南砂町の医療機関へ。
何と2024年はヒガシマルうどんスープ発売60周年なんだそうですよ
それにしても、忙しい1年でした・・・・・・。
このブログのアップロードの頃はもう御用始めを過ぎていますが、漸く今日で御用納めでございます。何か面白い記事を探す気力も無く、東京駅で出逢ったヒガシマルうどんスープのキャンペーンが今年最後の話題になって仕舞いました。ヒガシマルうどんスープで黄そばたべたいな。
仕事納めの日も歩き回った後、帰りのバスに乗っていると、しくしくお腹が痛みます。胃酸が多いのかも知れませんが、突然の水腹でまたまた体調不良です。
武蔵境駅南口の日比谷花壇で買った注連飾りは昨夜のうちに吊しました。仕事納めの翌日はスーパーで松や菊の花飾りを買い、門に設えたほかは、ほぼ布団の中で過ごしました。
カモと鶏腿肉とコマツナを水炊きにしました。
作っても食べ切れませんが、少し摘まんで休みました。