玉山に限らず、富士山より高い山は台湾に3つも在るのですが、衝撃的だったのは《日本人の約8割が知らなかった》という見出し。
「え゛、これ程少子高齢化社会なのに・・・」
「まさか、団塊世代の高齢者が知らなかったって・・・」
と俄かに信じられませんでした。だって、真珠湾奇襲攻撃の暗号電文は
「ニイタカヤマノボレ」
でしょう そして、新高山(玉山)というのは内地外地含めた当時の日本の中で最も高い山だったでしょう
そんなことも知らない日本人が8割近く居たということなのか、それとも、新高山が台湾に在ることを知らない日本人が8割近く居たということなのか、どちらにしても、驚いて仕舞いました。
早速、《ニイタカヤマ》とニュース検索してみたところ、9月8日付西日本新聞が、暗号電文を送信した長崎県佐世保市の旧佐世保無線電信所(針尾送信所)の地中構造が市の調査で判明したという記事を掲載していました。
8月18日付読売新聞オンラインは更に詳しく、長崎県建設技術研究センターの元職員の研究によって送信所のコンクリートの配合や工法が明らかになったと報道。論文を制作した元技術支援幹の小川健さんは昨年10月に長崎大学に論文を提出した後、今年2月に74歳にお亡くなりになり、その3日後に論文は博士論文審査を通過したそうです。
3本の無線塔の高さは約136mで竣工は1922年とのこと。1世紀を経過したコンクリート建築が今も猶堅牢なのは驚くべきことです。
一方、2021年12月6日付読売新聞オンラインは、北海道稚内市の通称稚内赤れんが通信所を取材。「長年の風雪で屋根が崩落するなど深刻な老朽化が進む中、戦争遺跡として後世に残そうと、地元のボランティアが保全活動を続けている」そうです。
記事によると、この施設は1933年に建設された旧海軍大湊通信隊稚内分遣隊幕別送信所。この送信所からも択捉島単冠(ヒトカップ)湾に集結した艦隊に暗号電文が中継されたとのこと。「解体の意向を示した政府に対し、市は歴史的な価値を考慮して2006年に土地と建物を取得」したものの、管理は市民団体稚内市歴史・まち研究会に委託。同会では寄付を頼りに少しずつ修復を進めているそうです。
わたしたちの地元でも中島飛行機武蔵製作所等《軍都多摩》の記録や遺産を残して行かなければ、武蔵野市や西東京市に1t爆弾や模擬原爆が投下されたことを知らない住民ばかりになって仕舞います。戦争遺産を残す取り組みの意義は大きいと言うべきでしょう。
わたしが死んでこのブログが更新されなくなったら、これらの記録も削除されるのでしょうが、こういうエゴドキュメントこそ保存して置いて欲しいものですね。