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 日本国にも外務省報道官は居るそうですがはてなマーク

 主権国家が輸入品の検査を強化するのは当然ですが、反論が在るのでしたら速やかに対応しないと・・・・・・。政府が冷静に対処するのは勿論ですが、一方で別のプレスリリースのチャンネルが在っても良いのではないかと思えて来ました。

「じゃあ、日本の海にナマコ取りに来んぢゃねーぞビックリマーク

「日本のナマコ持って帰んぢゃねーぞビックリマーク

 

 と、報道官に言わせれば良いと思うのですが如何なものでしょうかはてなマーク 外務省にも適任の人材は居るでしょう。週1回のプレスリリースに拘らず、もっとタイムリーにレスポンスすれば良いのにと思うのですが・・・・・・。

 

 さて。

 7月19日付岐阜新聞Webが掲載していた記事下矢印

 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館が調査したところ、逍遥先生の3つのエッセイに《牧野博士》が登場するそうです。

 

 その1つ《マンドレークといふ植物の訳名》では、牧野博士が「ジュリエットに仮死状態をもたらした眠り薬として登場するマンドレーク(マンドラゴラ)について

 

「君はあれを何と訳したかはてなマーク

 

と逍遥先生にお尋ねになったそうです。牧野博士の質問を受けた逍遥先生は

 

「お訊(たず)ねで恐れ入った。もとより自分は門外漢、世間一般の『英和辞書』類からの借用以外に何の考へもないのです。御専門の正しい訳名の御示教を願ひたい。」

 

とお答えになったとのこと。記事によると、その後「牧野は早速、34年1月1日発行『本草第十八号』(春陽堂版)を送ってよこし、逍遙は論文『東で人参、西でマンドラゴラ』の一部を藝術殿に転載した」ということです。更に、記事は、

 

「朝ドラでは、十徳長屋で暮らす東大の落第生、堀井丈之助のモデルは、逍遙ではないかと交流サイト(SNS)で話題となっている」

 

と記すとともに、ドラマの脚本家長田育恵さんについても

 

「以前演博で勤務した経験があり、逍遙の生涯を描いた戯曲『当世極楽気質』も執筆している。演博は『逍遙に対する長田さんの深い理解と愛情が、今回の逍遙(と思しき人物)の登場やキャラクターの人物造型につながったのでは』と推測」

 

していると紹介していました。

 

 因みに、わたしは逍遥先生が岐阜県出身だったことを知りませんでしたので、岐阜新聞がどうして逍遥先生と牧野博士のトピックを採り上げているのか、最初は判りませんでした。

 

 逍遥先生と言えば《言文一致》を提唱し、勧善懲悪の戯作とは一線を画した《小説》の必要を説いたことで知られていますが、その実、曲亭馬琴が大好きで、二葉亭四迷からはその作品の戯作性を批判されてもいます。結局、逍遥先生は小説を離れ、シェイクスピア研究に後半生を捧げるのですが、日本のシェイクスピア研究が実は牧野博士を植物学教室から締め出した矢田部良吉教授に始まることもわたしは知りませんでした。

 

 西洋の詩に匹敵する日本語の詩の誕生を目指した《新体詩抄》を外山正一・井上哲次郎とともに編集したのが矢田部教授で、抑々、矢田部教授がハムレットの一部を抄訳したことが新体詩抄編集の切っ掛けになったそうですびっくりビックリマーク 知りませんでした~。

 

 矢田部教授の足跡に関しては、国立科学博物館(科博)の《矢田部良吉デジタルアーカイブ》に詳しく紹介されています。アーカイブのトップページでは《文明開化の科学者・矢田部良吉の生涯》と題して

 

「このウェブサイトでは、科博の所蔵する矢田部良吉資料を中心に、波乱に富んだ矢田部の生涯を資料によって紹介します。」

 

と記載しています。

 Wikipedia《矢田部良吉》の項目によると、牧野博士は1890(明治23)年11月に矢田部教授によって東京大学植物学教室への出入りを禁じられて仕舞いますが、翌1891年3月には矢田部教授もまた突然非職になり、その後も非職が解除されることは無く、1894年3月には非職期間満了という形で免官になったそうです。

 

 その後、矢田部教授は植物学に復帰することなく、1895年4月に東京師範学校教授で英語を教えることになり、1898年6月には校長に就任するのですが、1899年8月7日、鎌倉沖で遊泳中に49歳の若さでお亡くなりになったそうです。植物学に限らず、大学をはじめとする高等教育機関の近代化を急ぐために周囲との軋轢も絶えなかった波乱の生涯だったようです。

 

 植物分類一辺倒の牧野博士の生涯はドラマの表題どおり《らんまん》と形容して良いかもしれませんが、逍遥先生にせよ矢田部教授にせよ、学問と教育の近代化という課題に取り組まざるを得なかった一生は《波乱》と形容すべきなのではないでしょうか。

 
【7月24日付の後記】牧野博士を取り巻く人物として坪内逍遥先生と矢田部良吉教授を採り上げてみましたが、日刊サイゾー連載中の渡辺裕子さんのコラムが、正しくドラマの中の《沢山の主人公》にスポットライトを当てていて秀逸でした。