多分3月20日付だと思うのですが、下野新聞に《自宅敷地内の小川でミズバショウが見頃》という記事が掲載されました。
何でも、自宅敷地内を流れる小川の畔に30年程前に植えたミズバショウ。今では100m程に広がり、3月10日頃から今年も咲き始めたとのこと。お家の人は霜に当って枯れないように、夜はビニールを掛けてて保護し、見物客をお迎えしているそうです。
《屋敷の敷地を流れる小川》というものが東京ではお目に掛れませんので、非常に心惹かれました。
これも吃驚しました。
産業用大容量全固体電池をマクセルが世界で初めて量産化するとのこと 自動車メーカー各社が開発に鎬を削っていた筈ですが、マクセルの優位性は果たして維持出来るのでしょうか しかし、こんなに早く実用化されるとは・・・です。
週末、3月17日(金)にNHKーGで放送された《アナザーストーリーズ 運命の分岐点》で女性の生き方を大きく変えたミニスカートに焦点を当てていました。
日本にトゥイギーを招いた女性自身の編集長や東レの広報部長などのエピソードも面白かったのですが、マリー・クアントがBMCのクラシックミニに因んで《ミニスカート》と名付けたカラフルなスカートを顧客と一緒に作って行った経緯のほうがスリリングで飛び切り面白く感じました。面白かったので、後でこくらげ夫人とこくらげ姉妹1号にも
「ミニスカートって誰が作ったか知ってる」
と尋ねてみたら、
「マリー・クワント」
と即答されました。何だよ、ヴィヴィアン・ウェストウッドも知らなかった癖に。あ、そう言えば、ヴィヴィアン・ウェストウッドさん、亡くなったんですね。
ところで、今日は先ず、先週特に目を惹かれた話題を2つ紹介させてください。
3月16日(木)付のデイリー新潮。3月16日号の週刊新潮がTBSドキュメンタリー映画祭に出品されるドキュメンタリー作品《東京SWAN 1946 戦後の奇跡「白鳥の湖」全幕日本初演》を採り上げていました。
まだまだ終戦直後と言って良い1946(昭和21)年に、日本で初めての白鳥の湖全幕公園が日本人の手で上演されたことはわたしも知ってはいましたが、確認したところ、終戦からほぼ1年後の1946年8月9日、第4回帝劇芸術祭・東京バレエ団結成記念公園として上演されたようで、音楽は東宝交響楽団となっていました。
TBSスパークルの宮武由衣さんが温めていた企画を打ち明けられたダンサーの宮尾俊太郎さんがご存命の方の話を伺って行くうちに当時の舞台を再現しようと考え初め、実際に再現に漕ぎ付ける過程を追ったドキュメンタリーということです。単館上映なので直ぐには鑑賞できないのですが、どのような内容になっているのか気になります。
3月18日付文春オンライン(週刊文春3月23日号)によると、切っ掛けは宮武さんが図書館で《焼け跡の白鳥の湖」島田廣が駆け抜けた戦後日本バレエ史》(小野幸惠著・文藝春秋企画出版)という本を手に取ったこととのこと。
第4回帝劇芸術祭のために複数のバレエ団を糾合して結成された初代の東京バレエ団は1950年には瓦解したそうですが、母体となった各カンパニーのメソッドも思惑も異なるのですから、いろいろと難しい部分が多かったような気がしますね。
30年前に新国立劇場バレエ団の基盤を作った島田廣日本バレエ協会会長について記したWikipediaの項目が事の経緯を比較的詳細に紹介していました。
一方、鹿児島県内に放置されていた嘗てのブルートレイン特急なはを買い取った上に、クラウドファンディングで輸送費を調達して香川県観音寺市迄輸送したうどん店主・岸井さんの話題を2021年10月4日に採り上げたことが在りましたが、2月27日に岡山放送が放送したニュースによると、元の寝台列車の姿を再現した宿泊施設としてオープンに漕ぎ付ける日が愈々近付いたようです。
《オハネフ》とか《オハネフの宿》で検索すると実に沢山の記事にヒットするのですが、何と言っても岡山放送のリポートが面白い。阿久根市から香川・徳島・愛媛県境に在る雲辺寺山の麓迄の長旅の様子も物凄いリポートでしたが、今回のリポートもなかなか凄いことになっていました。
鉄ヲタでもうどんマニアでも、ましてやお遍路さんでも在りませんが、その何れにとっても突き刺さるような物語性の在る施設。問題はサービスですが、辺鄙な雲辺寺山麓をリゾートとして生れ変らせるような投資がこれを機に連鎖的に起きるようになると本当に良いと思います(が、やっぱり無理かな)。
五郷渓温泉以来のリゾートが出来ると良いのですが。
この辺りで話を全く変えることにします。