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 1月28日。月に1度のKFCの《とりの日》でしたが、《とりの日🐓パック》を買いに行くのを忘れるとともに、《若草山の山焼き》も忘却していました。

 言われて思い出してみれば、関西に春の到来を告げる東大寺の修二会の前の大寒の寒い時期でしたね。関西に居住して季節を告げるイベントに年年歳歳耳目が触れていないとすっかり忘却して仕舞うものですね。

 

 ところで、昨夕の読売新聞夕刊1面によると、アフリカ豚熱(ASF)汚染国からの豚肉製品輸入禁止が長引いて国内のプロシュート在庫が払底するに連れ、19世紀末に渡米したミラノ出身者が創業したアメリカ産のプロシュートの取り扱いが増えているそうです。

 全世界から様々な民族が移民したアメリカであれば、プロシュートが産業化されていても可笑しくありません。「成程~」と感心すると同時に思い出したのが、航空機製造を禁じられた敗戦国ドイツの航空技術者がブラジルに移民して設立した航空機製造会社エンブラエル社でした。

 

 同じように航空機製造を禁じられた日本の技術者は国内で自動車、鉄道、宇宙開発などの異分野に転じることになりましたが、例えば今は亡きドルニエ社はWikipedia《ドルニエ》の項目によると、1945~1954年の間、スペインやスイスに拠点を移していたそうです。

 

 結果、自動車・鉄道・宇宙開発の分野に嘗ての航空技術者が転職することによってこれらの産業は世界に冠たる水準に達しましたが、海外での事業展開は自動車を除けば必ずしも秀でているとは言えません。

 

 日本にも嘗ては《カリフォルニアのワイン王》と呼ばれた長澤鼎(1852-1934)のような人が居て、そういう人は今でも居そうな気がするのですが、大手商社などはそういう情報を抑えているのでしょうねぇ。

 

 この日、外壁塗装の足場を組む業者の方が事前調査に来るというので、こくらげ宇宙人夫人が対応している間にこくらげ宇宙人姉妹2号を伴ってそらわんわん のお散歩に行くことにしましたのですが、2号の支度に時間が掛ってなかなか出発出来ません。仕方無いのでパパとそらわんわん は先発することにしました。

 多摩湖自転車道を西へ。市役所通りを過ぎて直ぐ、そらわんわん が足を止めた足許に目を遣ると、くしゃくしゃのしわしわになっていますが、これはカボチャだったのでしょうかはてなマーク それともタチアオイはてなマーク 何故こんなところに目を出したのか聊か不思議でした。

 のんびりのんびり歩いて行くそらわんわん

 この日も馬の背を通って小金井公園に向って行きました。

 お風呂の王様の裏まで来るとこくらげ宇宙人夫人から電話。小学校の裏に居るというので、その侭馬の背を渡るように申し付けました。

 暫く待っても姿が見えませんでしたが、水道筋のバス停近くで漸く合流。若い頃のようにはしゃいだりはしませんでしたが、みんなが来て呉れたのでそらわんわん も嬉しそうにしていました。リードをこくらげ宇宙人姉妹2号に渡し、そら号は夫人に渡しました。

 

 コンビニの裏迄来たので

 

「ほらほら、此処からそら宇宙人 は自分からコンビニに下りて行くよ。」

 

と2号に言うと、2号は

 

「ほんとだ~ビックリマーク

 

と驚いていました。

 2号と一緒にコンビニでお買物をした後は、いつものように鈴木街道を渡って小金井公園通りから小金井公園へ。小平口から二つ池を経て、こどもの広場へ上がって行きました。パークス前のテーブルで暫しの休憩。

 休憩の後は梅林にウメを眺めに行くことにしました。

 早咲きの品種は既に咲き始めていましたが、本格的な見頃は2月に入ってからでしょうかはてなマーク

 ごつごつした幹を塀で隠して、曲りくねった枝から真上に伸びる小枝に咲いた花を愛でるのが嘗ての鑑賞方法と耳にしたことが在りますが、こくらげ宇宙人夫人にもウメの小枝の伸び方を教えてやりました。

 久し振りにこくらげ宇宙人夫人とこくらげ宇宙人姉妹とお散歩に出掛けたそらわんわん。半年前ならもっと一緒に歩けたでしょうに、急速に右腕の調子が悪くなったことが如何にも残念です。

 この日、NHK《ワイルドライフ オーストラリア謎のイヌ ディンゴ》の再放送を録画で視聴ました。

 オーストラロネシア人が家畜として連れて来たイヌが野生化した種なのか、元々野生種なのか良く判っていないようですが、番組で紹介されたディンゴの家族はアフリカのリカオンや日本のホンドギツネと同じように、成長した子どもが親の子育てを助けていました。

 このような個体をヘルパーと称するそうですが、番組の中ではヘルパーを務めていたお姉さんディンゴが命を落し、両親だけでは手が足りないのか、生まれたばかりの子ども1匹が死亡。しかし、なわばりを出て一人暮しをしていたお兄さんが知ってか知らずかヘルパーとしてなわばりに戻って来ていました。

 ところが、子育てを手伝って貰っていた当のお母さんは何時迄もお兄さんがヘルパーで居るのを許しません。自分のなわばりを自分で獲得するようお兄さんを追い出して仕舞いました。厳しいですね・・・・・・。

 

 追い出されたお兄さんでしたが、嘗て闘った別のグループのムスメと出逢い、番組の最後では遂に自分のなわばりを作り始めていました。

 

 家畜ばかりかヒトの子どもを襲うこともあるので嫌われ者のディンゴですが、やはりイヌの仲間ですね。

 

【2月22日付の追記】さる1月25日にJR東海道線山科駅構内で発生した転轍機故障に伴って発生した《列車乗客閉じ込め事故》。帰宅時間中に山科駅を発車した直後の列車が停止した侭、長時間に亘って乗客を閉じ込めるという前代未聞の事故になりました。

 

 事故の契機となった転轍機故障は急激な積雪に起因して発生した訳ですが、奇異に感じたのは隣の京都駅構内では既に石油式の融雪カンテラが使用されていたことでした。

 

 当該事故後に行われたJR西日本の記者会見では「6時間当り積雪見込みが10cm以上でなかったために融雪カンテラを使用しなかったことが事故の原因」と説明していましたが、事故当日SNSにも投稿されていた京都駅構内での融雪カンテラ使用の事実と明らかに矛盾していました。

 

 もしJR西日本の説明どおりであったとすると、京都駅構内では全社的基準とは別のローカルルールで災害対応していたため、隣接する山科駅とは当初から情報共有していなかったことになります。

 

 さればと言って、京都駅にしてみれば飽く迄ローカルルールに乗っ取った処置に過ぎないので、山科駅とは情報共有することが出来なかったものと思っていました。

  この事故に関して2月20日付京都新聞は、2月20日にJR西日本が改めて記者会見を行い、一連の不備や判断ミスについて改めて陳謝したことを報じました。

 Yahooビックリマークニュースが転載した読売テレビニュースによると、「JR西日本の長谷川一明社長は、京都駅が過去に『積雪6センチ以上』で雪をとかす装置を使う独自の基準を持っていたことを明らかにし」たとのこと。

 過去に使用されていたローカルルールを使用して仮に運行障害を発生させていたとしたら、京都駅の判断は処分の対象になっていた恐れも在りますが、京都駅構内では恐らくは始発前から対応していたので運行障害は発生しなかったのでしょう。

 

 しかし乍ら、事故発生当日、恐らくは多くの利用客が融雪カンテラの稼働を目撃していたにも拘らず、京都新聞等の独自取材によってこの事実が確認された後に改めて記者会見を行わなければならなかった会社の対応は如何なものでしょうかはてなマーク わたしはTwitter等のSNSを使用しませんので、当日どのようなリツイートやリプライが在ったのか目にしていませんが、会社は事故当日にこのような事実を把握出来なかったのでしょうかはてなマーク

 

 SNS上でのこういう情報が経営陣に伝わらない侭事故当日のような記者会見に経営陣が臨んだことに関して、改めて事故発生時の迅速な情報共有の重要性と難しさを感じて恐ろしくなりました。