2日続きの雨の朝。昨日は新小岩駅の改札を出た頃には既に上がっていましたが、この日は細かい雨がまだ降っていました。お昼に夏日を記録した昨日は朝から気温が高めでしたので、ヒートテックとコートを脱いで職場に来ましたが、この日はフィールドコートを羽織ってもまだ少し寒さを覚えました。
前回の広報えどがわ(2022年3月1日号)が特集していた南アジア原産マメ科の野菜《メティ》。
この日の朝刊に折り込まれていた同紙3月15日号は《新川の歴史と江戸情緒を継ぐ和船の会》を特集していましたが・・・
・・・同じ日に《号外NET江戸川区》で目にしたのは《メティが入ったコマツナカレー》が食べられるお店でした。
さればと言って、仕事の無い日に江戸川迄やって来るのは余りに遠いので、職場の近くに折角心惹かれるお店が在っても訪れる機会が在りません。しかし、折角の情報ですから、何かの偶然の機会が訪れた折のために、このような情報を頭の中にストックして置きたいと思います。
続く3月16日水曜日。
お昼休みに職場の近くの小学校の校庭に目を遣ると、早咲きのサクラがもう満開でした。月曜日は朝から暖かく、コートを脱いで出掛けましたが、火曜水曜と少し気温が下がったので、軽いフィールドコートをスーツの上から羽織っています。日が差せば昼間は暖かいのですが、朝夕はまだ油断が出来ません。
この日、職場で朝日新聞朝刊を捲っていると、《きみが生まれた日》のコーナーで黒猫のルドルフを採り上げていました。
ルドルフに出逢ったのは今からもう30年も前。ETVで放送されていた《母と子のテレビ絵本》でした。年度によって放送時間が異なるようですから、わたしも時々にしか観ていませんし、本を手に取ったことも在りませんが、記事を読んで改めて手に取ってみたくなりました。
作者の斎藤洋さんのインタビューを読むと、切っ掛けは文庫本を持って出るのを忘れたので駅の改札口の売店で買った夕刊紙に出ていた講談社の児童文学新人賞の広告を見たことだとか。児童詩を書く友人にその広告の切り抜きを見せたところ興味を見せなかったので、自分が書いてやろうと思ったのだそうです。丁度ドイツ語の非常勤講師生活が続いていたので、賞金30万円に惹かれたとのこと。こうして、原稿用紙に向ったものの
「ところが、書くことがない。」
そこで、当時研究していたETAホフマンの《牡猫ムルの人生観》を下敷きに少年ネコを主人公にした教養小説(ビルトゥングスロマン)に忠臣蔵の要素を加えたら面白いんじゃないかと構想を決めて、3箇月程で一気に書き上げたとのこと。ルドルフシリーズは現在迄に5冊公刊されていますが、先生は今でも
「この作品で新人賞が取れるか」
という積りで書いているのだそうです。
漱石も《吾輩は猫である》の中でムルを登場させていましたが、ルドルフもムルを下敷きにしていたとは知りませんでした。
ところで、ルドルフがトラックに運ばれて辿り着いた江戸川区北小岩はこの30年の間に、すっかり《ルドルフの聖地》になっていました。
引用させていただいたこづちさんのブログを拝見したところ、京成小岩駅周辺には《ルドルフ応援団》という組織が出来、ルドルフとイッパイアッテナ・フェスタを開催しているそうです。
こづちさん親子がフェスタで入手した《ルドルフ応援団 北小岩ルドルフの町 タウンマップ》を手に歩いてみると、読み物や映画に登場するスポットのモデルになった場所には石碑が設置されていました。上小岩小学校、上小岩天祖神社、千代田通り商店街・・・・・・。
「北小岩に行く用事があったら、ウナギを食べたり、《孤独のグルメ》に出て来た中華料理の《珍々(ぜんぜん)》にも行ってみたいなぁ~」
と思ってからかなりの月日になりましたが、出張先から職場迄の帰路に寄り道するのは御法度。寄り道してみたいスポットばかりがどんどん蓄積されて行きます。白秋の紫烟草舎が建っていた辺りも足を伸ばしてみたいし、そうなると小岩菖蒲園にでも出掛けた帰りに立ち寄るしか無さそうです。足が棒になりそうですね。
因みに、昨年秋に江戸川区の多田正見前区長が紫烟草舎について触れたエッセイの中で、紫烟草舎が最初に建てられた場所は河川敷になって仕舞って不明ですが、最初に移築された場所は北小岩八丁目30番と記している件を見付けました。
・・・これは相当歩くことになりそうですね
それにしても、五郎さんが小岩で降りたのはシーズン2とシーズン9の2回だったと記憶していますが、1回目で辛い四川料理を食べ、2回目は小岩から新小岩迄3km程歩いた挙句、貴州火鍋を食べていましたね。この辺り、中華料理店が多いのは確かですが、どうして五郎さんは辛いものばかり選択して仕舞うのでしょうね