♪尾張名古屋は城で持つ
イトマン事件と聞けば、即座に《許永中》という名まえが想起されます。大阪駅に程近い中津に生れて、やんちゃ乍らも勉強は良く出来たと言われる許永中氏。しかし、大学時代に柔道と麻雀に明け暮れた許永中氏は大学を卒業しても当時の在日が一般企業には就職出来ないと知って次第に裏社会との接点で仕事をするようになって行ったようです。
番組を観ていると、高校で許永中氏の同級生だったという女性が若い頃の許永中氏の思い出を語る場面が出て来ました。同級生ですからこの方も高齢になっていらっしゃいましたが、聞き覚えの在る声にテロップを凝視してみれば、何とラジオDJの桜井一枝さんでした
桜井さんがアシスタントをしていた番組が沢山ありましたが、記憶に残っているのはABC(朝日放送)の《ヤングリクエスト》とOBC(ラジオ大阪)の《わっしょいスペシャル・ハイ本番水曜バチョン》ですね。それから、わたしが小学生の頃、毎週金曜日午後4時に関テレが放送していた《4時だぜ飛び出せわいわいワイド》でもアシスタントを務めていらっしゃいました(司会は関テレの桑原正平ちゃん)。
わたしが大阪を離れてからもう40年になりますので、今でもパーソナリティとしてご活躍中とは知らずにいましたが、画面で拝見して少し懐かしくなりました。
以前、《自伝大木金太郎 伝説のパッチギ王》(太刀川正樹著、講談社、2006年)を通じて戦後の日韓関係や裏社会とプロレス業界との繋がりなどに少し触れたことが在りましたが、戦前戦後に内地に渡った一世の人々よりも、内地で生れ育った二世の人々のほうが周りの日本人と自分を比べてより一層強く差別を感じたことでしょう。許永中氏もそうだったのかも知れません。
それにしても、安宅産業事件や平和相互銀行事件の際は辣腕を振るった旧住友銀行の磯田一郎会長がイトマン事件の一端を担って引責辞任することになったのは皮肉と言うか何と言うか。当時のさまざまな経済事件について、もっと知りたくなりました。