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 2月3日未明のNHK-R1《ラジオ深夜便》4時台《明日へのことば》は《画業40周年、新たな題材に挑む》と題して漫画家山下和美先生のインタビューを放送していました。原作を読んだこともドラマを観たこともないのですが、《天才柳沢教授》というキャラのことは知っています。

 朝の通勤途上、《天才柳沢教授の生活》がどんなお話なのか気になってWikipediaで確認したところ、既刊単行本だけで34巻にも達していました。Wikipediaによると当初は不定期連載、2006年からは月1回の連載というペースで描かれて来たとのことですが、連載開始は33年前の1988年とのことですからこれだけの巻数になるのも当然です。柳沢教授のモデルは山下先生の御尊父にして小樽商科大学講師、横浜国立大学教授、東北大学教授を歴任した経済学者古瀬大六(こせ・だいろく)教授なのだそうです。

 今朝放送されたインタビューによると、古瀬教授は山下先生の描かれた《天才柳沢教授》は「読まない」と仰っていたそうですが、後で調べてみたところ、小樽商科大学の広報誌《ヘルメス・クーリエ》に掲載された古瀬教授のエッセイが見付かりました。タイトルは何と《天才古瀬教授の商大生活》びっくりビックリマーク しかも、山下先生のイラストに思いっきり飾られていましたニコニコビックリマーク
 
 このエッセイに寄せられた山下先生のイラストには、書物を拡げる教授のお膝で教授の顔を見上げる子どもの姿が。幼い頃の山下先生なのでしょうかはてなマーク それとも、柳沢教授と孫の華子なのでしょうかはてなマーク Wikipedia《天才柳沢教授の生活》によると、海軍経理学校から主計将校として海軍に進んだ古瀬教授ですが、柳沢教授同様、夜9時になると就寝していたそうで、人目を惹くその規則正しい生活は戦時中の軍隊を記録した戦記物などにも残されているのだそうです。山下先生はそんな御尊父が好きだったのでしょうね。原作を読んだことのないわたしですが、Wikipediaを読んでほのぼのして仕舞いました。

 ところで、インタビューの最後のほうで山下先生が触れていたのが、現在取り組んでいらっしゃる《旧尾崎行雄邸保存プロジェクト》。世田谷区豪徳寺に残された水色の木造洋館で、尾崎咢堂から譲り受けた英文学者の親族の方がお住まいだったとのことですが、その方も転居されたので既に土地家屋を所有していた工務店が愈々解体に取り掛かろうとしたところ、これを知った近隣住民が保存活動を始めたそうです。所有者からの買取を目標に署名を集めたりクラウドファンディングを始めたりし乍ら、所有者と交渉を進めたとのこと。

【「憲政の神様」尾崎行雄ゆかりの洋館 取り壊し「待った」 保存へ世田谷区も支援検討】毎日新聞2020年7月7日
https://mainichi.jp/articles/20200707/k00/00m/040/285000c

【尾崎行雄ゆかりの洋館、解体から守るには…迫る交渉期限】朝日新聞デジタル2020年7月19日
https://www.asahi.com/articles/ASN7L74KYN7GUTIL00H.html

 
 ところが、フェイスブックでこの活動を知った漫画家の笹生那実先生が山下先生に連絡を取り、御主人で《静かなるドン》の原作者である新田たつお先生を口説いて敷地を買い取ることにしたのだとかビックリマーク 何と驚きの展開があったのですねビックリマーク

【AAR Japan特別インタビュー 尾崎行雄ゆかりの洋館を守る 山下和美さん & 笹生那実さん】2020年12月7日AARJapan
https://www.aarjapan.gr.jp/activity/report/2020/1207_3106.html

【東京・世田谷の旧尾崎行雄邸 「憲政の神様」の洋館、残った 人気漫画家も資金提供、買い取り成功】毎日新聞2020年12月6日
https://mainichi.jp/articles/20201206/ddm/041/040/110000c

【明治の洋館、旧尾崎行雄邸の保存決まる 活用法検討へ】日本経済新聞2021年1月17日
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFH091ZD0Z00C21A1000000/

 
 上掲AAR(難民を助ける会)の特別インタビューは山下先生と笹生先生のお話を伺うとともに、尾崎咢堂の家族の写真を掲載していました。それは山下先生の御尊父古瀬教授がお生れになった1917年に撮影された写真で、1979年に難民を助ける会を立ち上げた相馬雪香さんは咢堂とテオドラ夫人との間に生まれた次女だったそうです。

 テオドラ夫人は政治家だった父尾崎三良男爵がイギリス留学中に設けたお子様だったそうで、孫の相馬和胤さんによると同じ名字のテオドラ夫人宛の手紙を咢堂が受け取って開封して仕舞ったのをお詫びに伺ったことが馴れ初めだったとのこと。山下先生が語る古瀬教授のエピソードもにもほのぼのさせられましたが、咢堂の家族に纏わるエピソードにも人をほのぼのさせるものがあるようです。

【尾崎咢堂記念館 テオドラ夫人を紹介 夫妻の「人間味ある一面を」/三重】毎日新聞2018年3月22日
https://mainichi.jp/articles/20180322/ddl/k24/040/040000c

 

【相馬家33代当主「“憲政の神様”、尾崎行雄夫妻のなれ初めを教えてくれた母」】AERA dot.2015年1月16日
https://dot.asahi.com/wa/2015011400069.html?page=1


 旧尾崎行雄邸は咢堂がテオドラ夫人のために建てたとも、岳父の尾崎三良がテオドラ夫人の帰国のために建てたとも言われているそうですが、後者だとすると明治20年代の建築で、世田谷区内で最も由緒ある建築物ということになるそうです。

 このブログでも近代建築の話題を数々採り上げて来ましたが、検索してみたところ、旧尾崎行雄邸を採り上げたことは無かったようです。山下先生のインタビューを耳にしたのも何かの縁と思い、少し書き残して置くことにしました。