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三日間ブログをお休みして仕舞いました。先月から背中から左上腕部に掛けて鈍い痛みが取れずにいます。動脈瘤でも出来ていたらと心配になったので、金曜日、休みを取って病院に行ってみることにしました。
向ったのは小金井市にある桜町病院。歩いて行くには少し距離があるので自転車に乗ったのですが、タイヤに空気がしっかり入らないのと西風が強いのとで、病院に着く頃には汗だくでへとへとになっていました・・・
受付を済ませて革ジャンを脱いでも汗が引きません。その所為でしょうか、血圧を測ってみると今迄にない高い数値 のっけから落ち込みました。お年寄りと子どもたちがたくさん来ていたので気長に待ちましたが、桜町病院は先生が多いので、比較的ゆっくり診て貰えます。
「心配のようですから、CTを撮ってみましょうか」
と2Fで胸部CTを撮ることに。結論から言うと、動脈瘤も肺がんの影も見えません。
「整形外科的な原因かも知れません。」
とのことで、この日は原因が判らず、午後から整形外科に出直すのも少し疲れたので、家路に着きました。途中、小金井公園の正門を通りかかると、
「《特別展》川崎平右衛門」
の文字が目に入りました。
徳川吉宗が行った享保の改革の一環として、地方奉行大岡忠相に見出されて武蔵野新田開発に尽力した押立村名主の川崎平右衛門定孝については、何度かこのブログで採り上げた積りになっていたのですが、意外にも明治2年の《御門訴事件》に関連してに関連して触れただけでした。
川崎定孝の業績をきちんと伝えようとするとかなり長くなって仕舞いますので、Wikipediaの《川崎定孝》の項を見ていただくに越したことはありませんが、大岡越前の下での功績が認められ、苗字帯刀が許され、正式に勘定奉行配下の旗本となって、美濃国代官や石見銀山奉行を歴任することになります。
玉川上水と言うと、玉川兄弟による突貫工事が有名ですが、洪水の影響で傷んだ上水の改修や小金井桜の植樹を行ったのは川崎定孝です。
偶々通り掛かった小金井公園で川崎定孝をテーマにした特別展が行われるというので、先ずは東口迄戻って、自転車店で虫ゴムを交換して貰い、明らかに軽くなった自転車を漕いで江戸東京たてもの園に向いました。
今回の特別展では、江戸東京博物館所蔵の資料のみ撮影が許されていたので、川崎家や各市教育委所蔵の資料は撮影出来なかったのですが、定孝が苗字帯刀を許された際の書付も展示されており、麻裃着用の上、大岡の下に参上せよというような内容が書かれていました。
もう一度パンフレットを読み返してみないと、特別展の内容を再現出来ませんが、地元の開発に取り組んだ偉人として、各市の副読本でどのように紹介されているかという展示もあり、武蔵野市、小金井市、小平市、国分寺市などの小中学校の副読本が紹介されていました。
西東京市の教材の展示がありませんでしたが、ひょっとすると、西東京市では川崎定孝について教えていないのでしょうか
取り急ぎ、江戸東京たてもの園で開催中の《特別展 川崎平右衛門~武蔵野新田開発の立役者》についてご紹介しまいした。週末のおさんどんはまた別の機会に・・・・・・