父の実家に家族で行った記憶は、2回か3回しかありません。
たぶん、父は両親とそんなに仲が良くなかったのかもしれません。
仲はいいけど、なにか他の理由で、父は実家に寄りつかなかったのかもしれません。
「なぜ実家に帰らないのか?」なんとなく父に聞きづらくて、30歳を超える今でも私は父に聞けないまま。
そんな父の実家は岡山県の西大寺と呼ばれる場所にあります。
岡山駅からそう遠く離れているわけでもない町です。
昨年の冬、私と姉は、父方のお墓参りをするために、西大寺駅に降り立ちました。
昼間は、ほとんど誰も駅にいません。
東京など、昼間から大勢の人が電車に乗ったり降りたりしてウロウロしているので、昼間から誰もいない駅って不思議な気分になります。
私が上京した当時は、逆になぜ昼間から大のオトナが電車に乗ってウロウロしているのか不思議でしたが、ちょうどその逆の感じ方です。
西大寺駅から少し歩くと、父方のお墓があって、お参りじたいはすぐに終わりました。
駅前に戻っても、デニーズもドトールもないので、暇つぶしがてら、姉と父の実家に行くことにしました。
今はおじいちゃんもおばあちゃんも故人になって、誰もいないお家です。
幼いころの記憶を頼りに、道を右に左にと行くと、なんとなく見覚えのある景色が見えてきました。小さな自転車屋さんがあって、そのそばを小川が流れていて、小川の先に
小さな理髪店があって、その隣が父の実家です。
15年ぶりくらいに見る父の実家は小さく見えました。
同じものを子供の頃に見るのと、大人になってから見るのとでは、もののサイズが違って見えます。それは科学的に説明できる話ですが、そんな話をすっとばして、とにかく
小さく見えて、物悲しい感じがしました。
父も今年定年を迎え、白髪も増えて、背中も丸くなって小さくなった印象があります。
「なんでも小さくなっていくね」姉とふたりで、ぼそっとそう話しました。
知りたいことや思い出が膨らんで行くにつれて、実際のものや人はどんどん小さくなっていきます。人生という旅はそのように出来ているのかもしれません。