『三國志』の英雄たちの中では、劉備が一番、面白い。曹操は嫌ひではないが、劉備に比べると分りやすい人である。そこで、少し劉備について分析してみる。


劉備は四十を越えても自分の領地さへ持てない、うだつの上がらない傭兵隊長だつた。領土を持てさうな機會は幾度もあつたのだが、やばくなると領土や領民どころか妻子や家臣まで捨てて逃げ出す。


そしてまた新しい土地で傭兵隊長をはじめるのである。日本の「一所懸命」といふ言葉とは最も程遠い價値觀の持主である事は確である。


多分、一所懸命土地に拘つてゐれば、生き延びて帝位につく事は無かつたらう。劉備より巨大な勢力を持つ者も、才能に溢れた英雄たちも、みな色々なものに拘つて劉備より先に死ぬで行つた。


それにしても、劉備の家族に對する愛情の無さは異常である。劉備は早くに父親を亡くし母に育てられたが、その母との關係がどういふものかも想像がつくといふものだ。


きつと温かい家庭とは言ひ難かつたのだらう。母親に情愛を感じた事がないから、妻子にも酷薄なのだ。劉備の嫡子は劉禪といつて、四十を越えて得た子供である。


それまで男子が産まれなかつたとは想へない。劉禪には何人かの弟がゐる。劉備は秀吉ではないのだ。ただ、生活が安定する前に生まれた子は皆、捨てられた。


劉備のモノに拘らず平氣で捨てる生き方は、多分劉邦の影響も受けてゐる。最後に勝てば良い、と思つてゐるのだ。劉邦は垓下で勝利を得るまでは、項羽に何度も負けてゐる。


だから敗戰を何度繰返しても氣にしない。三國志で最も精神的に勁い男ではないか、と思ふ。そして最終的には、巴蜀の地で帝位につくのである。


前にも書いたが、劉備は何度も他人を裏切つてゐるのに、部下から見捨てられる事がない。部下はそれなりに大事にしてゐたやうに想へる。


妻子は持とうと思へばいつでも持てる。だが有能な人材はさういふ訣にはいかない。僕はかういふ
劉備の合理的な生き方に、少しぞつとするのである。