公的事業の民營化について考へるときに参考になるのが、ATTの事例である。この事例は、ドラツガアの著作に研究事例(ケーススタデイ)として載つてゐた。


當時のATTの社長は、外部にATTのサービスの監査機関を作つたりと、利潤追求から見れば意味の無い事に金を掛けてゐた。株主達は當然、不滿である。


この社長を馘首して監査期間の運營など止めにして、通話料金を引き上げて利潤の最大化を圖つた。私企業としては、當然の對應かも知れない。


その結果、豫期せぬ事が起こつた。サービスが惡くなり、通話料金が高くなつたため、怒り狂つた市民たちや政治家の間で、ATTの國營化が議論されるやうになつたのだ。


民間企業であればこそ、株主たちには配當が支拂はれる。國營化されて、株主たちに良い事は何もない。ATTの株主たちは慌てて、かつて馘首した男を社長に復歸させた。


公共事業が繼續企業(ゴオイング・コンサアン)である爲には、自ら監査機関を作つたり、といふ努力が必要なのである。さうでなければ民衆は、サアビスの民營化を許さない。


ATTの株主たちは、國營化の壓力といふ形で公的事業の民營化のノウハウを學んだのである。公的事業は、利潤だけ追求すれば良い、といふものではない。


東京電力にも、このやうな努力が必要だつたのではないか。すくなくとも原發の安全運營の爲に努力してゐるといふ姿勢を、利用者が理解できるやうに見せるべきであつた。


原發事故の後は、反原發運動が活氣づいただけでなく、原發の國營化を主張する人達が登場しはじめてゐる。確かに東京電力がATTのやうな努力を自ら行はない限り、原發の民營化はあり得ない選擇であらう。