※逐語訳はしておりません

 意訳したり盛っている部分もございます

 あらかじめ御容赦ください

 

 


今は昔、聖武天皇の御代のこと。

山城国(今の京都府南部)相楽郡に一人の人がいました。

願を発し父母に対する報恩のために、法華経を書写しておりました。

 

供養の後、このお経をお納めるための経箱を作ることにしました。

「どうせなら立派な箱にしないと」

あちこちから白檀・紫檀を求め集めます。

 

細工師を呼び、経巻の大きさを伝え、作ってもらうことにします。

「できました!」

「よし! お納めしよう!」

 

ところが。

一体何の手違いか、箱に入りません。

経巻が長過ぎる。それに対して箱の丈が短過ぎる。

願主はお経を箱に入れることができないものだから、大いに嘆きます。

 

細工師を責め立てる?

そんなひどいことはいたしません。

 

誓願を発して僧を呼びます。

そして37日の間、自らの失敗を悔いて再び良材が手に入るよう祈請してもらうことにしました。

 

 

そうやって27日が経ちます。

「まだ満願の37日とはなっていないが、どうだろうか?」

何気なく経巻を手にし、試しに例の箱に納めてみます。

「おお!何ということだ!」

 

確かに箱には入りません。

しかし、前回と何か違う。

 

明らかに経巻が余って箱に入らないんじゃない。

少しつっかえて入らない程度なのです。

「何だこれは!? 箱が少し伸びているぞ!?」

 

「これは祈請したことによるご利益なのか?」

ということで、ますます心を込め真剣に祈念します。

 

 

そして満願の37日が経過。

「さて今度はどうだろうか?」

経巻を手にし、例の経箱に納めます。

 

「やはり!!」

経巻はぴったりと経箱に納まりました。

少しも不足することがない。

 

願主はこれを見て、

「何とも不思議なことだ」と思い、

「これはお経が短く縮んだのか、

 それとも箱が伸びたものか?」

と不思議に思います。

 

そこで、納めた経巻と同じ白紙の経巻を用意し、書き上げた経巻と並べてみます。

2つとも同じ大きさ。

「ということはやはり経箱が伸びたんだ!!」

願主は涙を流し、経巻に向い礼拝しました。

 

 

このことを見聞きした人達は、

「ひとえに願主の誠の心を発したことによって起きたものなのだな」

と言って貴びました。

 

このことを思うに。

「『仏・法・僧の三宝の霊験は目に見えぬ』

 そうは言うけれど、誠の心を至せば、

 このようにありがたく現じるものなのだよ」

人々はそう語り伝えたのだそうです。