「コロナ時期だったこと」が、大きなきっかけでした。
通常の日々だったら、不動産物件を見る時間も、心にも、余裕がなかった。
そして、幸いだったのは、ロックダウンまでに日本帰国受験生たちは、
全て合格し、本帰国を果たしていました。
どんどん、厳しくなるマレーシアのロックダウンは、
コンドミニアムの敷地内で散歩することすら禁止になってしまい、
「どうなるのだろう?」という不安、緊張、ストレスがいっぱいで、
部屋に閉じこもっていました。
食料を買い出しに行くことすら、難しかった。
警官だけでなく、軍隊も外出者を取り締まっていました。
だから、せめて「気持ちが晴れることをしたい」と思い、
ハワイ情報やハワイ動画を見ることにしたのです。
観光で食べているハワイは、コロナ禍の大打撃を受けていました。
観光客が来ない。ほんの数ヶ月前に歩いたあちらこちらが閑散としていて、
動画を見ていて、涙が滲むほど切なくなりました。
そして、ハワイ在住者が発信するハワイ動画では、
心癒されるものも多かったのですが、
過激な撮影をしている日本人もいました。
路上生活者、薬をやっている人たちが道路に座り込んでいるのを、
わざと近くにより、挑発させ、激昂して向かってくる様子を撮影し、
大げさなタイトルと共にユーチューブにアップしていたハワイ在住の女性。
行動が最低すぎる!
そして、私は、あの「9:11 同時多発テロ」を思い出しました。
その時、私は、深夜の電話で起こされました。
義兄と義姉からで、
「早くテレビのニュース見て。大変なことになった!」
当時、日本初のメンタルヘルスケアのビジネスをアメリカから導入するために、
アメリカ本土に行っていたパパは、ハワイに着いたばかりでした。
アメリカで医療系ビジネスをしていた有能な若者に、
ビジネスパートナーをお願いされたパパは、
一緒にアメリカに何度も行っていましたが、
彼はまっすぐ日本へ帰国。
パパは、ひとり、シェラトンワイキキに宿泊中。
100回ほどハワイに電話をかけても、
ホテルの回線もパンク状態で、繋がった時は、朝が明けていました。
「どうしてハワイにいるの!なんで一緒に日本に帰国しなかったの!」
と責める言葉しか出なかったです。
パパは、すでにビジネスパートナーから連絡が入っており、
落ち着いて受け止めていました。
「もう聞いてるよ、社長、大変なことになりましたって、電話があって起きてた」
ハワイも大パニック。
これから戦争に?
空港閉鎖、飛行機が飛び立つ予定なし。
シェラトンワイキキから出れない。
3日後、宿泊客はロビーに集められ、ホテル側から説明があったそうです。
もうしばらく、このまま部屋にいてください。
少し、ホテルのエントランスからメイン通りのカラカウア通りを
覗いて、誰もいないハワイに驚いたそうです。
パパが言ったのは、
「いつ日本に帰れるか、わからない。戦争になるのか。
そうなったら、ここにいるよ。大好きなハワイと共になら悔いなし」
その時、次はハワイを狙うという情報もあったのです。
そう言ったパパの言葉を、私はコロナ時期に思い出したことも
きっかけです。
この頃は、息子はまだまだ、生まれていなくて、
息子は、こんな出来事があったことは知らないです。
私がどんな思いで、ハワイ不動産に動いたのかは、
誰にも話していなかった。
ロイヤルハワイアンホテルの茂みに住み、
隣のシェラトンワイキキホテルの池に散歩しに行き、遊ぶカルガモ親子。
すごい一等地に住んでいるカルガモさんたち。