マレーシアのコロナ拡大によるロックダウン、
今思い返しても、厳しかったです。
ロックダウンでマレーシアの空港が閉鎖される情報が流れると、
緊急に、密かに、日本に帰国した人たちもいました。
退職者でマレーシア生活をしている人達は自由がきくので、
日本に帰って寿司食べる、温泉に行くと書かれると、
取り残された寂しさや、未知の不安に加えて、
焦燥感などが、幾重にも複雑に湧き出て来ました。
最初の頃、日本入国は、空港到着時の検問に5時間もかかる大変さ、
電車、バスなど交通機関を利用してはいけない。
家族が迎えに来る車か、予約したタクシーか、レンタカーで帰宅すること。
できなければ、空港近くのホテルで2週間ホテル隔離をするなど
感染拡大による帰国条件がどんどん厳しくなりました。
けれど当初は、隔離が強制でなく、自己責任の元でした。
日本の空港は、「成田空港しか」開いていません。
そこから、北海道、東北、関西、九州、沖縄など遠方の人は、
一時帰国を諦めた人がほとんどでした。
しかし実情は、空港から一度、レンタカーなどで帰ったフリをして、
途中で電車、新幹線を利用して自宅に戻った人たちもいるはずです。
私は海外生活で
「要領よく立ち回れる日本人を見る事が多くなりました」
「人に見つからなくても、悪いことはお天道様が見ているんだよ」って、
子供の頃、おばあちゃんに言われて育ったものです。
その言葉は、今も自分の中には生きています。
だから、やりきれない感情も溢れて来て、
それが強いストレスにもなりました。
コロナは、「私たちの本心を炙り出すことをミッションにしたウィルス」
そんな風に勘ぐるほど、様々な事がありました。
もともとペナンの食事を好きではなかったこと、
外出制限が厳しかったこともあり、
常備用のレトルト食品や缶詰などを食べていると、
より一層、気持ちが沈みました。
海外なんて長く住むもんじゃないって。
日本でも緊急事態宣言が発令されて、大変な中、
福井県の社員寮では、雀のお宿の管理人さんが、
お酒好きな寮生さんのために、こんな素敵な居酒屋風お夕食を
作って励まされていました。
「食事って大事だな〜。美味しいものさえ食べれば人は元気になれる」