◯西洋学問傾倒に懸念を表せられた明治天皇
國學、儒学こそ我が学問の真髄

明治天皇は青少年の道徳教育を重んじになられ、侍講・元田永孚へ「汝文学の臣宜しく一書を編し以て幼学に便すべきなり」と仰った。
明治15年『幼学綱要』となった。









しかしながら若き明治天皇は、大学教育が道徳倫理を軽視している件、元田氏へ苦言を呈せられた。
「理・医・法、進捗あるも、主体とする修身の学科に於いては曾(かつ)て見る所無し…今大学の教科和漢修身の科、あるや無きやも知らず、國學漢儒固陋なる者ありと雖(いえど)も、其の固陋なるは其の人の過ちなり」と仰られた。
これは、明治の教育が西洋合理的な知育に偏して、徳育に欠けたる点に一大痛棒を下し給えるものである。
これが発展して明治23年『教育勅語』発布に至るのである。

・参考『幼学綱要』宮内省蔵版 岩波文庫