昭和15年に出版、西田氏の日本論。
御多分に洩れず、哲学用語が駆使された難解な文章であるので、歴史や文化について関わる箇所を抽出して読んでいく。
◯神ながら言挙げせぬ国
神ながらの道は議論の為の議論はしない。概念の為の概要を弄さない。よって真個の道は「因襲的に伝統に従ふとか主観的感情のままに振る舞ふとか云ふことではない」
◯日本文化
情の文化であるこを否定しないが、我々の生き方を論理的に把握する必要がある。論理的にない人は、主観的希望や要求を直に原理の如く考える。「自己を立つるに急にして他に耳目を蔽ふが如きは由来我々の日本精神ではない…日本精神は何処までも正々堂々、公明正大」である、と偏狭な国粋派の釘を刺した。
◯皇室
我が歴史は皇室を中心に生々発展。主体なるものは色々変わったが(蘇我、藤原、源平、足利、徳川)皇室はこれら主体的なるものを超越して、主体的一と個別的多と矛盾的自己同一とした。
皇室は過去未来を包む永遠の今である。
「我々が何処までも自己自身を捨てて、我々の自己がそこからそこへといふ歴史的世界の建設に奉仕すると云ふこと、何処までも作られたものから作るものへと歴史的世界の建築者となると云ふことが国民道徳の精華」と締めた。
当時の時代の情勢もあるだらうが、我国が世界を築くべく使命感と、国民が進んで輔翼する責任感、これに高邁なる哲学のスパイスを加えた卓絶の文章である。