明治初期、あのおぞましき廃仏毀釈はなぜ起きたのであろうか。

四宮正貴氏によると、徳川時代における神社側の仏寺への従属が続いたことへの反発が、維新断行と共に廃仏毀釈運動を展開させたのである。(『政治文化情報』第420号)

特に薩摩藩と水戸藩で活発であった。

葦津珍彦氏は西郷隆盛は徹底した神仏分離主義者であり、薩摩藩は慶応元年から廃仏に着手、明治4年の宮中神仏分離の建白は西郷の筆跡といわれる。(『国家神道とは何だったのか』)

しかし、廃仏毀釈も一過性に終わった。

庶民意識は依然として、仏壇の仏さまとは祖霊のことであり、神仏を同時に崇めることを矛盾としない。仏教は我国伝統信仰と融合し定着している。