時代は「平安」に入ります。
日本の女性たちが、隋、唐(中国)から流入したおしろいやメーク方法を脱し、
いよいよ「日本独自の美の文化」を生み出して行ったようです。
当時の唐のヘアーメイクと比べると日本の美文化の雅さを感じます✨
お肌は「白く」「長い黒髪」が美とされた。
女性たちは髪の艶を保つため、米のとぎ汁や卵の白身、灰や草木などを利用して色々なトリートメントを試したようです。
原始化粧から伝統化粧の時代へ 平安時代1 | ポーラ文化研究所 (po-holdings.co.jp)
(ポーラの資料一部抜粋)部屋の中は昼でも薄暗い大きな屋敷に生活していました。そうした環境に映える、色鮮やかな絹の衣装を何枚も重ねた十二単(じゅうにひとえ)に身をつつみ、服のボリュームに合わせるように、「垂髪(すいはつ)」という黒髪を長くまっすぐに伸ばしたヘアスタイルが代表的なファッションです。
百人一首で見る御姿そのものですね✨
庶民の装いは、女性は「小袖」
男性は「直垂」に「括り袴」と言う機能性重視の着物。
平安時代 | 日本服飾史
https://costume.iz2.or.jp/period/heian.html
この庶民たちの服装が「武家」の服装の基になったとも言われます。
武家の服装と宮廷の服装の違いの原点…
これこそ、日本国の在り方そのものでは⁉と感じました。
日本国は世界に例をみない形で、
御皇室と武家(今は政治家)という二大権力によって国を護って来た。
※当方、考古学や歴史学の専門家の皆様と違う視点、「美」と言う視点から考察しております🙇
政治的な背景には触れておりませんが細かい時代描写に誤りがありましたら申し訳ございません💦
日本古来の文化伝統の片隅でも「日本独特の美意識」が時代と共に形成され流行を生み、
それでも今なお、着物文化として後世に残っていることに美容師の端くれとして大変感謝しております。
さて、
私が改めて感じますのは、平安の「恋」の事情はどうだったのでしょうか⁉
恋?
フェミニズムと関係無いじゃん⁉
・・とお思いの方も、もう少しお待ちください🙇
「日本女性はなぜメークやファッションに気を使うのか⁉」この基本を男女共々が御理解下さらないと、
世界のフェミニズムとの相違に辿り着けないような気がしています。
雅な平安時代の恋…
と言えば紫式部✨
恋の御話に続きます【続く…】
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