ぼくはチャンネル桜の「青山繁晴が答えて、答えて、答える」の収録中でした。
 久しぶりの「虎ノ門ニュース月曜版」の生放送が終わってすぐ、いわゆる「飛び出し」で収録に向かったのでした。
 チャンネル桜のこの番組はいつも恐怖の3本撮りです。
 午前10時25分ごろに始まり、午後に入っても続く収録だったから、収録中に新元号発表予定の午前11時半は必ず来る。
 井上ディレクターの携帯で発表ぶりが分かるはずだから、それを待ちながら、みなさんの質問に答えていると、予定時間を過ぎても情報が入らない。
 どうしたのかと思いつつ、収録の2本目が終わりに近づくとき、ぼくの携帯に、あるところから情報が入って、万葉集が出典だと知りました。
 収録のなかで思わず、大きく諸手を挙げて万歳してしまった。
 

▼もしも今回も、中国人の書いた古典から採っていれば、ただでさえFZKR政権、つまりフザケロ政権に変容する懸念が深まる安倍政権にとって致命傷のひとつになりかねないと危惧し、しつこく国書、国書、国書から採るべきだと申していて、それが実現したのは、ぼくの影響力などまるでないけれど、ほんとうにホッとしました。

 とりあえずは、良かった。
 圧倒的に、良かった。
 ここから、安倍総理が仰っていたはずの「日本を取り戻す」道に、安倍政権におかれては戻っていただきたい。


▼ただし、政権の耳に心地よくはない余計なことを、また率直に申します。
 令和を墨書した、その書は今回、あまり良くないと個人の所感としては思います。
 力が入りすぎている。
 平成の文字は素晴らしかった。それは陛下の崩御のあとに、まさしく何の予備知識もなく急に言われた二文字だったから、かえって力が抜けて、ありのままの美しい書になったこともあるのではないでしょうか。
 ところが今回は、おそらくはかなり前から知らされ、準備していたから、力が入ったのではないかと、まさしく勝手な想像ながら想像しています。

 万葉は柔らかい。

 そのなかでも、とりわけ柔らかな瑞々しさに満ちている一文が出典なのだから、もっと静けき穏やかさのある、肩に力の入らない書がふさわしいと、ひとりの国民として考えています。
  しかし、平成がそうであったように、国民それぞれの令和を愉しんで書けばいいと思います。
 国民の書には決して何も言わないけれど、官房長官が示されたのは政府の書でありますから、意見を申しました。

 

その瞬間|青山繁晴の道すがらエッセイ/On the Road http://shiaoyama.com/essay/detail.php?id=1087