・・・いま、議員会館の青山繁晴事務所です。
 地下から最上階の12階まで、ただし中二階があるので、実質的には14階ぐらいかな。
 きょうは3分23秒台で駆け上がってきました。子どもの頃から気は強いけど意志は弱いので、サボってエレベーターで行こうかなぁと思うし、駆け上がる途中で、たとえば「あー、まだ4階かぁ」とかメゲそうになりますが、記録を取っているのが、どうにかぼくにも続けられる理由ですね。ふひ。

▼本会議のある日はまず、朝一番に国対 ( 国会対策委員会 ) があります。
 誰より早く国会に行くことを心がけているので、国対にもいちばん早くに着くことが多いです。
 ただし、きょうは珍しくいちばんではありませんでした。
 都内に自宅があるので議員宿舎には住む権利がありません。議員宿舎なら歩いてこられるから到着時間が計算できるけど、とても歩いては来られない距離に住んでいるので、時折、思いのほか時間が掛かります。

▼今朝の国対では、大阪の府知事、市長のダブル選挙 ( ほんとは府議会議員、市議会議員もあるクワッド選挙ですよね ) をめぐってとても厳しい話もありました。
 続いて、公開の議員総会です。
 国対は非公開ですが、この議員総会は公開です。以前に、アイヌ新法の問題点を指摘する発言を、手続きを経て行いました。
 するとある新聞が、例によって、発言の一部だけを切り取って大見出しにし、その部分を強調して団体などにぶつけて反応を取り、その後に冷静な議論をすることを困難にしました。
 いつもの通りです。
 議員総会の直後にぼくに取材した記者は良心的に見えたので、期待したのですが、まったく裏切られました。
 19年間の記者生活で、記者は一般には、キャップやデスクや部長、要は上司の指示にとても、とっても弱いことを嫌と言うほど知っています。
 ぼくはあまりに当然ながら、記者時代にも反論すべきを反論いたしましたが、当時は「自由の共同」と言われた共同通信にあっても、それは極めて例外的な振る舞いでした。 ( いまの共同通信は、もはやまったく、自由の共同とは言われません )
 この新聞の記者は、議員総会のあとに国会の廊下の長椅子に座って、ぼくの話をちゃんと聴きました。しかしその後に、こうした上からの指示、ある種の圧力があったのかなぁと想像はしますが、オールドメディアは他を常に批判しながら、みずからの内部事情は決して外にオープンに語りはしないという困った性癖があるので、分かりません。

▼議員総会が終わると、自由民主党の参議院議員は全員、本会議場へ移動して、本会議に臨みます。
 きょうは採決が7回もありました。すべて押しボタンです。
 ボタンを押せる時間はあっという間の短時間です。
 想像以上に短いです。
 伊達参院議長閣下が「投票を終了します」と、さっさと宣言なさいますから、考え込んでいたりすると押し遅れて、たいへんな事態になりかねません。
 採決までにしっかり考えておかねばなりません。
 それは国会議員として当然なのですが、問題は、にんげんは一瞬、気が他のところへ向くこともある生き物だということです。理由が何であれ、投票をしないで終わると、重大事態です。
 国会議員というのは、落とし穴の多い職業でもあると思います。
 365日24時間、気を抜けるときはありません。
 自分自身がどれほど緊張感を持って日々を送っていても、まったく知らないところで周囲の人に不注意があると、それが国会議員本人に厳しく跳ね返ります。
 ぼくはぎーんになるまで株式会社組織のシンクタンクである独立総合研究所の代表取締役社長でしたから、社員の振る舞いに一定の責任を持っていました。しかし国会議員の重荷は、それとは比較になりませぬ。

 不肖ぼくは新刊「不安ノ解体」 ( 飛鳥新社 / 例えばここ ) のなかでも、そして独立講演会でも、「異業種のひとよ、出でよ」と立候補を勧めています。だからこそ、こういうあまり語られない現実も、ありのままに記しておきます。
 ぼく自身は、ちょっと意外かもしれませんが、こういう緊張の解けない日々、緊張を決して解いてはならない日々というのは、あまり、いやほとんど苦になりません。
 苦になるタイプの人は、それなりに覚悟を定めてから国会にお出でください。

▼本会議場から地下通路を歩いて参議院議員会館の地下へ戻り、そこから階段を駆け上がるわけですね。
 会館に戻ると、会館の自室でしかできない公務が、まさしく山のように、もはや登れないのではと思うほど高い山になって積み上がっています。
 たった今、それと格闘中です。

▼今日はこのあと、4月21日投票の衆院大阪12区補欠選挙に立候補する北川晋平候補の政見放送のために、この議員会館の部屋で収録があります。
 法で定められた政見放送の冒頭近くに、不肖ぼくが登場する予定です。
 この補選は、北川知克・元環境副大臣の急逝によって行われます。晋平さんは、甥っ子ですね。
 ともかっちゃんこと北川さんは、日経新聞の「交遊抄」というコーナーに「世知辛いこの世にあって、利害関係の一切ない、得がたい親友」という趣旨でぼくのことを書かれました。
 最近にぼくに講演を依頼され、環境省の官僚をはじめ学生諸君を含めて、北川さんを慕う人びとの前で講演したばかりです。
 突然に烈しく痩せられていて、胸の奥で物凄く心配しながら、ともかっちゃんがいつもの温和な笑顔で見守る前で講演しました。
 そのあとすぐに、亡くなってしまいました。
 国会日程のために葬儀にも行けず、辛い思いが募るばかりでした。
 きょうの収録ではありのままの気持ちを、わずか45秒という制限ですが、台本なしに語りたいと思います。

 ともかっちゃん、北川知克代議士は、大阪での自由民主党と維新の激突を、初期の頃から深く心配し、なんとか共に前へ進めないかとぼくには苦しい心境を仰っていました。

▽凡て、すべての思いは、独立講演会@神戸 ( ここ ) でお話をし、みなさんの質問になまで答えます。
▽凡て、すべての思いを込めた新刊がついに発刊となりました。みんなへの祈りと責任を込めて「不安ノ解体」と題しました。(例えばここです)