何が、酒断ちだ! 何が禁酒だ!
無理に決まってんでしょ? お嬢さん。
やってしまった。飲んでしまった。
といっても今月に入って外で飲んだのは、二回。たったの二回だけど、今月は絶対飲まないって
誓ったのに!
あぁ・・私って何て意思が弱いの。
思い知らされる9月の夏の夜。
今日も自宅で缶ビール一本飲んでしまった。
やっぱり駄目ね。一回飲んでしまうと。もう止まらない。
でもこれでも飲まない日のが多いから、まだ大丈夫。
然う思っている所で駄目な証拠ですけど?
これでも成長した方。昔の私は本当に酷かった。誰にも手が付かない。誰にも止める事ができなかった。
でも、愚かな私は誰かが教えてくれるのをいつも待っていた。自分で理解してる癖に、解ってない素振りをして。
何も解らない子猫ちゃんになりたかったのだ。
答えは簡単。一人で立てばこんな事にはならなかった。
誰にも知られず、ひっそりと、・・佇む事も無かった。
哀しいかな、我が人生。タカがと思ったが間違い。されどこの命。
でも、人の心は強いもの。
どこからでもやり直しが効くのね神様。
そして、ユングの言廻(ことね)が現る。『冷たくても冷たくなくても神はここに居る』
むしろ私には『呱々に』とも思うが。それは 其れ其れ なんじゃないかと思う。
さて、また独り言の様に世界に没頭してしまうが、、、
今日は何となく気分が良い。
私が禁酒を始めた切っ掛けとして、酒を飲まないと飲んでる時の躁に変わって飲んだ次の日の鬱に毎回やられ、それらが限界を超えたからだ。
そして、後悔が祟り、飲まない日を続けると面白くなくなって、鬱になり、躁を求め酒に走るのだ。
原因を知って、結果を知り、過程まで完璧に熟してるのに何故人は繰り返すのでしょうね?
私の好きな イノセンス と言う映画では、在る女研究者がこの様に言って居る。
『子どもは常に人間という規範から外れている。
確立した自我を持ち自らの意思に従って行動するものを人間とするならば。
では人間の前段階としてカオスの中に生きる子どもとは何者なのか。
明らかに中身は人間とは異なるが人間の形はしている。
女の子が子育てごっこに使う人形は実際の赤ん坊の代理や練習代ではない。
女の子は決して育児の練習をしているのではなく、むしろ人形遊びと実際の育児がにたようなものなのかもしれない。
つまり子育ては人造人間をつくりだすという古来の夢を一番手っ取り早く実現する方法だった。そういうことにはならないか』
人は皆人と思って行動して、その行動は何故から生まれるの?
人は人間と思って人は生きてるのに、では、動物は動物と思って行きてるの?
人と動物の区別なんて無く、勝手に作られた虚像であり、我々はそれらに踊らされた愚かな生き物。
何ら変わりの無い私達の中で何を真実として生きているなんて、今はどうでも良く、世界は目紛しく、時間は果てしなく流れて行く。
それを横目で気づいてはいるけど、止めれない。だから、私たちは流れに逆らわない。
それが、正しいか?なんて考えない。だって、世界の速度は半端無く早すぎるから。
置いてけぼりにならない様に。取り残されない様に、皆怖いのだ。だけど、それを解っているけど、言わないのだ。
人は馬鹿では無い。 だから動物を道具で脅し、檻に入れ、金品に変える事を冒しいとも思わずに、人によっては思えずに、世界は回って行くのだ。
私には何も出来ないけど・・・。それは私も誰でも思う事。
周りに流されずに、自分の行く道を正して行くのは、なんと難しい事なのでしょう。
話は反れたが、結局 解ってはいるが、出来ない事は本当に多い。
いや、それは、出来ないでは無く、やらないのだ。
たった、禁酒だけの話ではないけど、身を持って理解した今の私は、何とかするよう、禁酒は続ける。
何とかするよう、自分に目を背けない様に、自分を受け止めようと心から思った9月なのでした。
無理に決まってんでしょ? お嬢さん。
やってしまった。飲んでしまった。
といっても今月に入って外で飲んだのは、二回。たったの二回だけど、今月は絶対飲まないって
誓ったのに!
あぁ・・私って何て意思が弱いの。
思い知らされる9月の夏の夜。
今日も自宅で缶ビール一本飲んでしまった。
やっぱり駄目ね。一回飲んでしまうと。もう止まらない。
でもこれでも飲まない日のが多いから、まだ大丈夫。
然う思っている所で駄目な証拠ですけど?
これでも成長した方。昔の私は本当に酷かった。誰にも手が付かない。誰にも止める事ができなかった。
でも、愚かな私は誰かが教えてくれるのをいつも待っていた。自分で理解してる癖に、解ってない素振りをして。
何も解らない子猫ちゃんになりたかったのだ。
答えは簡単。一人で立てばこんな事にはならなかった。
誰にも知られず、ひっそりと、・・佇む事も無かった。
哀しいかな、我が人生。タカがと思ったが間違い。されどこの命。
でも、人の心は強いもの。
どこからでもやり直しが効くのね神様。
そして、ユングの言廻(ことね)が現る。『冷たくても冷たくなくても神はここに居る』
むしろ私には『呱々に』とも思うが。それは 其れ其れ なんじゃないかと思う。
さて、また独り言の様に世界に没頭してしまうが、、、
今日は何となく気分が良い。
私が禁酒を始めた切っ掛けとして、酒を飲まないと飲んでる時の躁に変わって飲んだ次の日の鬱に毎回やられ、それらが限界を超えたからだ。
そして、後悔が祟り、飲まない日を続けると面白くなくなって、鬱になり、躁を求め酒に走るのだ。
原因を知って、結果を知り、過程まで完璧に熟してるのに何故人は繰り返すのでしょうね?
私の好きな イノセンス と言う映画では、在る女研究者がこの様に言って居る。
『子どもは常に人間という規範から外れている。
確立した自我を持ち自らの意思に従って行動するものを人間とするならば。
では人間の前段階としてカオスの中に生きる子どもとは何者なのか。
明らかに中身は人間とは異なるが人間の形はしている。
女の子が子育てごっこに使う人形は実際の赤ん坊の代理や練習代ではない。
女の子は決して育児の練習をしているのではなく、むしろ人形遊びと実際の育児がにたようなものなのかもしれない。
つまり子育ては人造人間をつくりだすという古来の夢を一番手っ取り早く実現する方法だった。そういうことにはならないか』
人は皆人と思って行動して、その行動は何故から生まれるの?
人は人間と思って人は生きてるのに、では、動物は動物と思って行きてるの?
人と動物の区別なんて無く、勝手に作られた虚像であり、我々はそれらに踊らされた愚かな生き物。
何ら変わりの無い私達の中で何を真実として生きているなんて、今はどうでも良く、世界は目紛しく、時間は果てしなく流れて行く。
それを横目で気づいてはいるけど、止めれない。だから、私たちは流れに逆らわない。
それが、正しいか?なんて考えない。だって、世界の速度は半端無く早すぎるから。
置いてけぼりにならない様に。取り残されない様に、皆怖いのだ。だけど、それを解っているけど、言わないのだ。
人は馬鹿では無い。 だから動物を道具で脅し、檻に入れ、金品に変える事を冒しいとも思わずに、人によっては思えずに、世界は回って行くのだ。
私には何も出来ないけど・・・。それは私も誰でも思う事。
周りに流されずに、自分の行く道を正して行くのは、なんと難しい事なのでしょう。
話は反れたが、結局 解ってはいるが、出来ない事は本当に多い。
いや、それは、出来ないでは無く、やらないのだ。
たった、禁酒だけの話ではないけど、身を持って理解した今の私は、何とかするよう、禁酒は続ける。
何とかするよう、自分に目を背けない様に、自分を受け止めようと心から思った9月なのでした。