【発達障害】小3の今、存在系の強み確信 | 自分で癒やすこと 〜モドルミチ〜

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本来の自分にもどるため
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自分で癒やしていく。
生きづらさ、苦しみ、不安、焦燥感、罪悪感と一緒に。

こんにちは付けまつげ


次男、小学校3年生になりました。
特別支援学級、放課後等デイサービスに
毎日元気に通っています。


もう、ずいぶん長いこと
記事にする機会がなく。
あえて書こうとしてみました。





発達の遅れ
発達障害
自閉症
知的な遅れ
知的障害


なにをどう当てはめて
噛み砕いて
解釈して今に至っているのか。


受容とか理解とか
そういう単語も
いまひとつピンと来ないです。


受け入れた、ということでも
受け入れていない、ということでもなく。


発達の遅れ
発達障害
自閉症
知的な遅れ
知的障害



これらの単語の持つ意味って
わりとのっぺりした軽いベールのようなもので。


そこまで深みがない気がします。


学術的には定義があり、
診断されるには
複雑な心理検査が行われ
基準によって
あっちとこっちとを分けるので
重みありそうですけど。


それは必要な支援を見極める手続であって。


診断がついたその人自身を
縛るものではないんですよね。


だから家族としても
診断名とか障害名とか在籍級名って
受け入れるとか
受け入れないとかの
対象には、そもそもならなくていいと
改めて思います。


もともとべったりくっついてない
距離感のあるものなんだな。


当初からそういうこと書いてましたが
それが腹に落ちていなかったから。
それを腹に落としたくて。
そこそこ長く葛藤してきた。
そんなプロセスだったように思います。


たとえば「近視」とか


よぉーし
息子は“近視”なんだ
“近視”だから息子は息子らしいんだ
頑張って受容するぞ!!


とはならないですもんね。


なのに


よぉーし
息子は“発達障害”だ

“発達障害”だから息子は息子らしいんだ

頑張って受容するぞ!!



は、なんか成り立ってしまう。



そのへんのおかしさに

気が付きながらも

その図式の中で頑張ろうとしている私がいて。



気持ちがわるいけど抜け出せない。

そういう葛藤の中に

いたのかもしれないです。



コーヒーコーヒーコーヒー



それで、今はどうなのか

という話ですが。



なんでもいいや



という表現しか出てこず。



収まりのわるい葛藤状態からは

抜けられているようで

それは嬉しいです。



同級生は本当にカラフル。

原色な鮮明なカラフルさ。

この際立ちって本当に美しいなって思います。



なんでこの子たちって

こんなに鮮烈なんだろうって

キュンとさせられます。



そんな色彩豊かな空間の中で。



次男は

やっぱり、赤ちゃんのときから

変わらない。



とにかく可愛い



が終わらない。



それは長男も同じで。

赤ちゃんのときから変わらない。



とにかく激しく

全力の存在感



が終わらない。



つまりそういうことだよなぁと。



強みが自分を救うし

強みが導いてくれるし

強みに従えば周りをも幸せにできる。

人の役にたてる。



親の欲目とか

上の子、下の子で

バイアスかけて見てるとかも

思ってたんですが。



周りからも結局、

同じところ褒められるんだから。

あっちからも

こっちからも

面白いほどに全方位から。



じゃあそうなんだろうなって

納得を重ねて重ねて

結論に至ったのかもしれないですね。



ということで

我が家の次男(小3)は

存在、雰囲気、立居振舞そのもので

周りの人を癒やし

幸せな気持ちにさせる強みが

どうやらあるようです。



ラッキーだね!

やったね!

祝福するのみです!



こちらこそ♥キューン
なのでした。