数ヶ月前に


dancyuダンチュウ 2022年4月号

韓国日常料理

を買って読んでいたら、


その中に、

茨木のり子さんの

「ハングルへの旅」

を紹介しているページがあって、

いつか読みたいなぁと思っていたら、

図書館で借りられました。







茨木のり子さんは、1975年に旦那様を

亡くされ、翌年、50歳の時から韓国語を

習い始めました。

習っていた朝日カルチャーセンターで

その講師だったのは、NHKハングル講座

にも出ておられた金裕鴻(キムユホン)先生

だったというから、なんだか親しみもわいて

来ます。



詩人ならではの、みずみずしい感性と

豊かな語彙で、

ある時は、私とほぼ同年齢の「おばさん」

の見方(失礼!)で韓国、朝鮮を見て、

言葉を紡いでおられるところは

共感できて嬉しい😊




あぁ、と特に共感を覚えたところ、
興味深かったところ、
面白かったところを書き抜くと、


日本語を絶対に使うものか、という人がいる反面、久しぶりに日本語が使えるうれしさを隠さない人もいる。

随分つらい日々だったろうに時過ぎてみれば嫌なことは風化し



ハングルって、まるで編物記号みたいな文字ね」女の友人がつぶやいた。



マッカーサー 맥아더(メガド)

同じ英語を音で表記するのに、こんなに違ってきてしまっている。マッカーサーがメガド?だがハングルの方がはるかに英語に近い音だとアメリカ人が言うそうである。よほど聴覚の発達した民族で、唄のうまい人がめっぽう多いのもこのことと無縁ではないだろう。



外国語を学ぶことは、それまで気づかなかった母国語の特徴を、はっきり意識させられることであるのだろう。ちょうどそれまで未分化で、べったりだった親子関係が、或る日或る時、子が親を客観的に見据えられるようになることと、似ている。



      ハングル 庄内弁

赤ちゃん  アガ   あが

女房    アネ   あね

父ちゃん  アッパ  あっパ

居たが   イッタガ いったが

(母方の故郷山形県の庄内弁に韓国語と

同音、同意の言葉がある)


鳩のからだは木にあっても心は豆畑にある

비둘기가 몸은 나무에 있어도 마음은 콩밭에 있다)

ピドゥルギガ モムン ナムエ イッソド マウムン コォンパッテイッタ

上の空。心ここに在らず。鳩と豆畑の例えが、ふっくらしている。



工夫(コォンブ 공부)=勉強

勉強という漢字語はなく、それにあたる工夫。中略

勉強はー強いて勉める、強いられるとも取れ、楽しさが乏しい。学ぶことは自分なりに工夫することだという能動性には味がありいたく気に入ってしまった。発音を間違えると昆布になる。Kong -buと鼻に抜ける。



ハングルの日109

秋冷の一日「言葉の祝祭日」とはなんて粋なんだろう。この地球のどこかに「母国語の日」をつくって祝っている国が、ほかにもあるのだろうか。



或る家の井戸端には、洗ったらしい요강(ヨガン)=し瓶 ひとつ。その上にざるが置かれ青菜の水切り、いとも無造作に。トホホ。




と、きりがないのですが。




30年以上前の本ですが、

さすがにこれは古い話だな、と

思うエピソードは殆どなく、

令和の今読んでも

新鮮に、生き生きと、韓国の風景や

ハラボジ、ハルモニ、アジュンマ、

アジョシ…が

眼に浮かぶ文章は流石です。


ハングルの魅力を語りながらも、

茨木のり子さんの日本語が

なんとも美しくて、

そこに感動してしまうのでした。



50歳からハングル文字を覚え、

韓国語を学んだ茨木のり子さんの

行動力や活動的なところも凄いなーと

思うんです。



ソウルや釜山は当たり前、

扶余や智異山 他、こんな地方にも❓

という所に足を運んでおられます。



ネットのネの字も無い昭和50年代。

大変だったでしょうに…。



私もコロナでちょっとくすぶって

いたけれど、負けてられないな〜と

思ったわけで。(勝ち負けじゃないけどw)



老年は少年より更に老いやすいん

だもんね。急がないと。


マルチビザも発給されるみたいだから、

もう少しかなぁ…。

わくわく⤴️⤴️