昨年夏、一時帰国時のこと。
(ブログ引っ越し前の記事の再投稿です)
実家で母に、
「暑くて外に出かけるのも大変だし、写経やってみる?」
と、アマゾンで写経セットをクリックしました。
昔、私が書いていた頃は半紙の下にお経が印刷された紙を敷いて書いていましたが、今は薄手の紙にグレーでお経が薄く印刷されているんですね~。
それをなぞって書くかんじ。
たくさんの商品が出ていて、なぞるタイプばかりでびっくり。
とりあえず一番人気のあるものを選んでみました。
ちょうど弟家族も遊びに来ていて、
「お義姉さん、写経されていたんですか。薬師寺の東京別院で写経ができるらしくて行ってみたいなぁって思っていたんですよ~」
と、義妹。
けっこう人気あるんですね~。
「ところで、般若心経ってどんなことが書いてあるの?」
と母。
般若心経は、観音さまがお弟子さんに説いたお話を260文字(262文字)で表したもので、仏教の宗派の壁を越えて、多くの人に親しまれています。
私が初めて読んだのは高校生のころ。
当時は暗唱できるぐらいまで読みました。
現在もたまに読んでいて、奥が深いなぁ~と思います。
哲学や宗教にまったく興味がない母にもわかるよう、かみくだいて説明する中、
この内容をブログに書いたら般若心経のことをご存じない方もその世界に触れるきっ
かけになるかも!
と思い、記事にしてみました。
できるだけむずかしい表現は避け、簡潔にわかりやすく話し言葉で書きました。
(ブログ引っ越し前の記事の再投稿です)
実家で母に、
「暑くて外に出かけるのも大変だし、写経やってみる?」
と、アマゾンで写経セットをクリックしました。
昔、私が書いていた頃は半紙の下にお経が印刷された紙を敷いて書いていましたが、今は薄手の紙にグレーでお経が薄く印刷されているんですね~。
それをなぞって書くかんじ。
たくさんの商品が出ていて、なぞるタイプばかりでびっくり。
とりあえず一番人気のあるものを選んでみました。
ちょうど弟家族も遊びに来ていて、
「お義姉さん、写経されていたんですか。薬師寺の東京別院で写経ができるらしくて行ってみたいなぁって思っていたんですよ~」
と、義妹。
けっこう人気あるんですね~。
「ところで、般若心経ってどんなことが書いてあるの?」
と母。
般若心経は、観音さまがお弟子さんに説いたお話を260文字(262文字)で表したもので、仏教の宗派の壁を越えて、多くの人に親しまれています。
私が初めて読んだのは高校生のころ。
当時は暗唱できるぐらいまで読みました。
現在もたまに読んでいて、奥が深いなぁ~と思います。
哲学や宗教にまったく興味がない母にもわかるよう、かみくだいて説明する中、
この内容をブログに書いたら般若心経のことをご存じない方もその世界に触れるきっ
かけになるかも!
と思い、記事にしてみました。
できるだけむずかしい表現は避け、簡潔にわかりやすく話し言葉で書きました。
【kokoの般若心経超絶簡潔現代語訳】
観音さまがある時、私たち自身を含む、世の中のものすべては「空」であると悟りました。
そして、お弟子さん(舎利子さん)に以下のようなお話をしました。
観音さまがある時、私たち自身を含む、世の中のものすべては「空」であると悟りました。
そして、お弟子さん(舎利子さん)に以下のようなお話をしました。
世の中のものごとは、私たちのその時の「感情」や「過去の経験」によって見え方が変わります。
私たち自身の心も刻々と変わります。
ところで、自分という存在はどこにいるのでしょうか?
身体の中にも心の中にもそれを見つけることはできませんでした。
つまり、自分自身を含めて世の中すべて「空」、実体がないのですよ。
ちょっと頭をやわらかくして「思いこみ」「こだわり」を捨ててみると、物事の見え方が変わります。そして、物事の見え方が変わると世界も変わるのです。
そもそも、世の中のもの自体に「善悪」「正しい、誤り」「こうあるべきだ」というものは存在しないのです。
すべては、それらに対する私たちの「捉え方」であり、思い切って「思いこみ」や「こだわり」というベールを捨て去ってみると物事の本質が見えてきます。
そして、物事をどう「捉える」か、なにを「選択」するとよいかがわかってきます。
そうすることで「悩み」や「苦しみ」から離れ、自由になることができるのです。
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
という真言が、そのような状態に導いてくれるでしょう。
般若心経を簡単に解説すると上記のようなかんじになります。
ホントにウルトラざっくりです。
観音さまがおっしゃるとおり、
私たちは常に、その時の感情や過去の経験という
フィルターを通して物事を見ながら生活をしています。
私たち自身の心も刻々と変わります。
ほんと、この世のことすべて、実体がないのだなぁと思います。
なお、「空」について、「空っぽ」と訳されたりもしていますが、私は、単なる「空っぽ」ではなく「有るようで無い」「実体が無い」ということだと理解しています。
ちなみに・・・
20代後半に、私の生まれつきのアトピーが完治したきっかけは、まさに、思いこみやこだわりを捨て、ありのままの自分を受け入れ、すべてを流れに任せるという境地に達したことでした。
これは、いわゆる「体得」したことなので、言葉で100%表現することはむずかしいのですが、簡単に書くとそういうことです。
その時は、般若心経とは別のアプローチで完治への流れが作られましたが、般若心経が言わんとすることと同じ境地でした。
コロナ禍を経験し、世界の見方が変わったという方もかなりいらっしゃるのではないでしょうか。
「コロナ禍」という出来事自体についても、「マスクを外す、外さない」にしても、「ワクチン」云々にしても、人それぞれ見え方が違います。
脳のデトックスと言われているアクセスバーズも般若心経に通じるものがあります。
というか、まさに般若心経そのもの。
そちらについてはまたあらためて書きますね。
これからの世の中を生きる上で、「空」というものを深く知ることは大きな鍵となるはずです。
![IMG_6938.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20221112/13/kokos-life/8b/85/j/o0320029615201802037.jpg?caw=800)