「先生、よく何も見ないで1時間も2時間もしゃべれますねぇ。いやあ、私には無理、無理。とっても真似できない!」


先週何度か言われたこの言葉、情報医療NESのスキャン結果で、とある項目にチェックがついている方から、あるいはある言葉に筋反射で反応する方からよく言われることに気が付きました。


例えば「毎日のルーティンはこなしているけれど、人生で本当に自分のやりたいことが何かが分からない」とか、「やってみたいことがないわけじゃないけど、なかなかやれない」などという人の、漠然とした不完全燃焼感の底には、ある意味「目標達成型思考」が横たわっているように感じます。学校教育などでゆっくり身に着けてきたものなら、ほとんどの人が持っているかもしれません。私にもあります。

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「目標を達成する」「達成感を求める」というのは、もちろん、とても良いことのように見えます。ただそれが逆に足枷になるなら、その思考の使い方を見直してみることがブレークスルーかも。


というのも、自分の魂の深いレベルでは「○○をやりたい」と感じていたとしても目標達成型思考が強く頭をもたげると、それを達成した結果や努力の過程もセットになって意識が向かってしまいます。

「私はこれをやっても、○○が苦手だから
きっと目標には達することはできないよな」


「私には、誰それさんと違って、そこまでの才能はなさそう」


「家族や仕事もあるのに、日常にそこまでやるのは、いろいろ大変そう、無理・無理」


「もしこれが実現して、すごーい結果になっちゃったらちょっと怖いし、今で十分」


とそれをやりたい、という気持ちを思考が打ち消したり、やる気が出なかったりすることがあるからです。セッションに来られるからには何かを変えたいはずですが「先生、どうしたらやりたいことが分かるのですか?どうして私には本当にやりたいことが見つからないのでしょうか?」と聞かれることになります。

私が、どうやって幼児教育の世界にキネシオロジーや情報医療を広めたいと思うようになったか。どうしてこれだけ、何時間でも幼児教育や情報医療についてしゃべれるか、といえば、単純にそれに長くたずさわったことが大きいのです。

もし私が目標達成型思考で行動したら、つまり娘が生まれて限定された労働条件じゃなかったら、闘病生活を挟んでいなかったら、それまでの自分の職歴に拘ったら、きっと幼児教育も情報医療もやっていなかったでしょう。14年前に幼児教育に携わった頃も、7年前にキネシオロジーを学ぼうと思った時も、実は誰一人、周囲に知っている人はいなかったし、私自身もどんなものかよく分からずに、夫に心配されながらそこに飛び込んだわけです。今までの延長でもないし、こんな風になるぞという目標があったわけでもなく、「今はそれしかできそうにないしw」とか「これを取り入れたらどうなるか、面白そう」とスタートしたわけです。それが幼児教育の場合は、すぐに講師を育てていく立場になり、すぐによみかきらんどを主催するようになり、あっという間に人が増え、当然、日々の様々な問題にあたり、試行錯誤し、新たに学んだり、研究したりして、それがどんどん情熱と経験からの知恵につながっていっただけで、初めから、幼児教育やキネシオロジーや情報医療に対して情熱とか経験の引き出しがあったわけではないのです。行動することから、情熱は生まれて来るわけですが、情熱を感じるものに行動を起こそうとすれば、永遠に情熱はやってこないのですよね。

もしも、過去の私が、今の私を見たら「何千回も授業をやったりセッションをやって、やっとこさ色々学び、それでも日々壁にぶちあたって砕かれたり、砥石に磨かれたりしてしかできないのだとしたら、私はそこまで頑張れない。やる気もない。」と思ったかもしれません。でも、今の私を目標にしてきたわけではなく、ただ日々、「自分の言えるベストのことを言おう、やろう。」と思うだけでやってきたら、逆にいつの間にかそういわれるところまで来れただけだなあと思うのです。目標達成型思考というのは、その目標が達成するまでの自分、達成できない自分では不十分、という感覚です。では、その何かを達成したら満足できるのかと言えば、そうでもなくて、目標達成型思考の強い誠実な方ほど、例え、その目標を達成したとしても、次なる目標を探すし、満足することなく、何かしら不完全、さまよう感覚に陥ります。



私たちは、小さな子供の頃は、これをやって何になるんだろう?とかこれをやっても人の役に立たないなんて考えずに、純粋なる好奇心でただやりたいことをやっていたはずです。いつのまにか、ひらがなを教えて仕事と言えるレベルで稼げるのか?とか、キネシオロジーをやって本当に人様のお役に立てる仕事をやり遂げられるのか?などという目標達成型思考に必要以上にはまって動けないのではないかなあと。何かを成し遂げた人が素晴らしい。人に貢献した人が素晴らしい。ではあるけれど、そこに向かっていこうとするが故につまずくのはもう手放して、ただ、本当に今やりたいと感じること、今の自分にできることを選択していく、そんなタイミングが多くの人に訪れているような気がします。情報医療のスキャンでそれがつくということは、これまで十分に人生を経験し、そこからの思いに従っていく時期ということ。


いつかしよう、などという目標にする未来は永遠にやって来ないのですよね。人生は、ただ「今」の連続です。

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