JINです。

昨日、一昨日の続き。


「こうすれば幸せになる」
「こうすれば成功する」


そういった「教え」のひとつが
仏陀の教えであり


それに
「そーだそーだ」と言った人たちが
「教団」を作り

「組織」が出来ると


そこにいつの間にか

「こうしなさい」
「こうするべき」
「これはやめなさい」

が厳として語られるのも世の常だ。
「決まりごと」




さらに、その
「仏教」(仏陀の教え)と言われるものに

新たに
それぞれの宗派の開祖たちが
それぞれの啓示や成功体験や解釈を加えて

「いや、こうするべきだ」
「こうすると救われる」
「こんなことしてると地獄に落ちる」と

また新たな「こうしよう」が生まれた。
「こうすると幸せになれる」
「こうしないと地獄に落ちる」と。





牛に引かれて



それぞれの「こうするといい」、に
多くの人が集い、


でも、自ずと

「これが、正しい」
「あれは、間違っている」

へと変化していくし


心が歪んでひとには
その開祖が「これがいい」と言うと

「それ以外はダメなのか?!!」と
「他を否定するのか」
「我々を否定するのか」と


新しいことを言い始めた開祖たちは
「既存」の解釈をする人たちから

怪しい、危険だ、と叩かれる。

  

例えば

「南無阿弥陀と唱えるだけで救われる」
「悪人こそ救われる」


なんて怪しい
なんて危険だ

と言われる。




僕らからすると
全くもって怪しくないし危険でもない、
と思うけどね。


戦乱や貧困飢餓な時代には
既存の「仏教」では救われなかったひとが
沢山いたから、なんだろうね。

既存のひとたちからしたら
都合悪いよね。




僕も

「迷惑かけていい」
「お金を使っていい」
「叩いてもいい」
「損してもいい」
「怠けていい」

「がんばらなくていい」
「好きなことだけすればいい」



その言葉面だけを拾われて
「危険だ」「怪しい」と叩かれてきた。


そういうものだ。





みんながみんな
自分の

「正しい」
「こうするとうまくいく」(はず
「これをするとダメだ」

を持っている。



それに反するものは
なかなか受け入れられないものだ。

理解も出来ないものだ。



レジで立ったまま注文して、
出来るまで待って自分で運ぶなんて



座ってたらウエイトレスが注文を聞きにきてうやうやしく運んでくるものだろう、とか(笑)




よく考えれば

仏陀なんて(会ったことないので聞いた話でまとめてみる




彼は
大金持ちで王子様で
超セレブで何もかも持ってた。


だけど

病と
老いと
死、というものを知って
初めて世界を知り

最後に修行者に出会って

嫁も子供も
これから治めるはずだった自分の国も
何もかも捨てて城の外に出たのよね(笑)


しかも

誰かを救うため、とかではなく
いわば自分の「好奇心」を満たすためだったわけで。

「修行してみたい」
「世界を知りたい」


と。




そして

「こうするといい」と言ってる
先人(開祖)たちのいう修行をし

次々とこなしていくけど
的を得られず


やがて、修行をやめた時
自分だけの幸せを知る(悟り)わけで。


そう、目覚めた人「仏陀」になった。

ひと、ですよ、
神でも何でもないんです。

悟ったひと、です。
いわば「成功した人」です。





で、それを、その成功した方法を
自分が「悟った」ことを


周りの人に

「こうするといいよ」
「こう考えると楽になるよ」
「そーゆーのやめた方がええよ」


と伝えていった。



「方法」を「説いて」いった。
それが「説法」ですよね。


「コレはどうなんですか」と訊かれるから
「こうですよ」と答える「問答」をしていき


すると

そんなのも
叩かれたり
命を狙われたりもするわけです。




そういう「言ったこと」「教えられたこと」「説かれたこと」が死後まとめられたものが


「教え」として
「経典」「お経」となっていった。


三蔵法師がわざわざ
遠いところまで取りに行った、
ああガンダーラ。

「そこにいけばどんな夢も叶う」と言われ。







それだけ、が

「あるひとの成功法則」が


いつの間にか

「こうするのが正しい」
「これはいけない」
「バチがあたる」
「こうすると救われる」


と解釈され
「正しい」と「悪」に分けられて


それを説いた仏陀のことを

「神」として
「救ってくれる何か」にされてしまって。





いや、要は


もともとは

「生き方」
「考え方」


だったのに。


「こうするといいよ」の
「ひとつ」だったのに。


「正しいこと」
として奉られてしまった。





そして僕も

「こうするといいよ」
「これをやめよう」

そう言ってきた。
言い続けてきた。




結構、伝わったし、わかってもらえた。(はず

そんなものが
「うまくいく方法」の「ひとつ」として
受け継がれていくと嬉しいなとも思うし

それが当てはまらなかったひとから
「危険だ」「あんなのダメだよ」と
言われ続けることまで含めて。




次は、新しいやり方で。(好奇心


この箱根での様子は
LINE  LIVEプレミアム「JIN'S BAR」で
動画をお届けします。



「こうするといいよ」
「これをやめるといいよ」


自分に合うものが見つかるまでやってもいいし
やらなくてもいい。


好きな道を歩けばいいと思う。


僕が神社によく行くのも


ご利益的なものがあればいいな、
だったのから

ただ、好きな人に会いに行く、
好きな場所に行く、だけになってきたし、ね。


僕には目に見える御利益は
分からないから。



さて今日は春分の日。
今日から何かが変わるのか、変わらないのか、

風の時代
アセンション
今年は
エネルギーが


なにも
分からない( •̀ .̫ •́ )



でも、僕らが
幸せに「目覚める」には

たったひとつのことだけに
気づく、それだけだと思うのです(僕は



そう、きのことシャモの鍋は美味い、と(違