あのひとがうまく行ったのは

あれをやったからだ。
あれをやめたからだ。

そう教えられて
同じようにやってみよう、と。

それはとてもいいことだ、そう思う。
「やってみる」って。



わたしが、あのひとがうまくいった理由は
○○をやめたからだ、とか

そう教えられて
同じようにやってみた、とかもね。




で、
 
やってみても
同じようには、まぁならないわね(笑)


そしたら

何がまだ足りないんだろう?
何をまだ手放してないんだろう?


ってなるし、

他に「こうすると上手くいく」と 
言ってるのを聞くとまたそれもやってみる。


やってみても
同じようには、まぁならないわね(笑)


ひとの基礎と、ここまでの生き方と
行動と性質が違うから。




「やったのに、うまくいかない」


そのうちまた

「こうすると、うまくいく」
「これをやめると、うまくいく」
「なぜあのひとは上手くいくのか」


に流されていく。



「言われた通りやったのに」上手くいかない、
がやってくる。


心屋時代に僕が「こうすればいいよ」と言ってたことは
わりとその「こうすればこう変わる」の
ヒット「率」が高かったのだと思う。


イチローの打率よりもよかったと思う。
だからこそ、受け入れられてきた。

世間ではタブーと呼ばれる打ち方だったから
叩かれたりしたのだろうけど(笑)




でも、当然、例外なんて山ほどある。



で、また聞くわけです。


「言われた通りにやったのに、上手くいかないんです」
「言ってたような現実にならないんです」


すると

「まだ、アレが足りないんじゃないかな」
「まだ、アレを握りしめてるからじゃないですか」


なんて言われて
底のない沼に溺れていく。



まだ、足りないのかな?
ほかに、何をやればいいのだ?
どこまで、やればいいんだ?



どんどん
「やること」が増えていく。


まだ、何かに執着しているんだろうか?
まだ、こんなことやってるからなんだろうか?

と、どんどん
「捨てること」も増えていく。

ひとつひとつ捨てて行ったのに
まだ、何一つ変わらない。


あれを捨てろ
これも捨てろ

あれもやれ
これもやれ






「成功するために」
「幸せになるために」


そうしないと
幸せになれない
成功できない



この階段はどこまでつづくのか

いつまでやればいいのか
どこまでやれぼいいのか


見えてるアレは、あの頂は
いつ私の手に入るのか



そこに行けばどんな夢も叶うと言うよ♬


人はみな行きたがるが余りに遠い♬



幸せは
幸せな国は

ガンダーラは
ユートピアは

どうしたら
いけるのだろう

教えてほしい。。。。♬


もしかしたら、行けないのか?!
もう行けないのか?!



答えはこんなところにあったりする🤭


こんなところに



そう、こんなところに