夏休み7月24日に行ったのぞみ塾のインナーチャイルドヒーリング道場でのことをついに書こうと思います。

なかなか書きたいけど書けなくて、向き合いたくないからなんだろうなと思う今日この頃です。こんにちは。カウンセラー&英語コーチ・ライフコーチのララ子ですニコニコ
今日の文章は長いでいので2.3回にわけて書きます。

ずっと会いたかったのぞみん。のぞみ塾インナーチャイルドヒーリング道場へ。開始5分で他の参加者の方が自己紹介されている際に流れ弾に当たり号泣えーん小学低学年の頃の私と母を思い出しました。

ここで私の生い立ちを…我が家は大家族三世帯で同居をしていました。父が長男で家業を継ぎ父方の祖父母と住んでいました。我が家の場合は同居は上手くいっていませんでした。母はずっと自分達だけで暮らすのが夢でした。その夢の実現には長い長い歳月を要しました。

振り返ってみると、幼いながらに母が不幸で不自由で可愛そうだといつも思っていました。だから、何とか力をつけて母を楽させてあげたいというのが私の原動力の全てでした。中2から高3まで学年で成績が一番でしたが、母を喜ばすためでした。まずは、知力。次に体力。いずれ財力を得たい
何としてでも自分で稼げるようになりたい、底力のある本当に生き抜く力のある人と結婚したいと願うようになりました。そして、大学を卒業し、一流企業に就職し20代の全てを自分の能力向上に費やしました。平日はよく働いて、夜間や土曜日には学校に通い簿記や英語のスキルを磨いた数年間は遊ぶこと、楽しむことを固く禁じました。

もう一つ。私にはいつも敵がいるような気がしました。幼いころは母をいじめる祖父母や非協力的な父の弟達やその配偶者でした。私は7.8歳の頃からずっと敵の襲来に備えて身構えて生きてきました。同居生活が35年も続き、私は25で家を出た後も母は反りが合わない義両親と暮らさなければなりませんでした。その間、私は憎しみや怒りをバネして生きていたんだと思います。母と共に。ハングリー精神、うちに秘めた情熱はその時に育ったのかもしれません。そして大人になっても常に誰かと競い戦っていました。敵がいない時は自分を敵視して戦ってました。←独り相撲に気づかずにガーン

2017年7月、なずさんの心屋塾初級セミナーで母のことが生き辛さのもとになっていることに気づきました。仮想敵や可哀想お化けがどこまでも手を変え品を変え追いかけてきたのはそのせいだったことにに初めて気づいたんです。

実は2013年シアンさんの初級セミナーを夫婦関係を良くしたくて受講したのですが、振り返るとぢんさんのよく言われるように夫婦問題はダミーでした。4年後になずさん主催の同じ心屋初級セミナーに参加したところ、母が全ての言動の原動力になっていたということに愕然としました。

母がこう言っていたから、こうする。
母がああやってたから、ああする。
そんなんばっか。笑
全く母離れ出来てませんでした。
母が可哀想で、不幸で、不自由なだけでなく、私も可哀想で、不幸で、不自由だったんです。そのことに去年まで何十年も気づきさえしなかった。

ぢんさんを知ったことで、何十年も蓋を閉じていた扉をうっかりあけてしまったんです。すると、長い間感じないようにしていた感覚が蘇ってきて、出て来る出てくる。怒り、憤り、歯痒さ、罪悪感、恥、情けなさ、絶望感、悲しい気持ち…負の感情のパレード。

この出てきようが、インナーチャイルド道場(https://ameblo.jp/dreamer-s/entry-12409488895.html  では半端なかったです。

道場で、ひとしきり負の感情を出し切り、号泣し、upsetしきった後は、癒しの時間。のぞみ塾を卒業したカウンセラーさん達が道場を仕切ってらっしゃるのですが、みなさん真摯に参加者1人1人に寄り添って下さいました。あつ子さん、けいあめさん、りんちゃん、本当にありがとうございましたラブ

今まで頑張ってた自分を認めて、
できないことを諦めていく場。
頑張ってきたね。
大変だったね。
もう無理しなくていいよ。
頑張るのは諦める方だよ。
小さい頃のわたしに一日中寄り添って
あの時置いてきぼりにしてきた気持ちを
癒します。

もうひとりじゃないよ。
もう大丈夫だよ。

今まで受けた心屋・初級上級・マスターコース、全ての点がついに線になった感じがしました。今日のぞみんのブログにはっとさせられて思わず御礼のメッセージを今しがたおくりました。そう出来ないこと頑張るんじゃないんだ。手放すことを頑張るんでしたウインク

次回に続きます。
読んで下さり、ありがとうございます。