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ぢんさーん♡クリスマスにパッカーンきましたー!やっぱりぢんクルベール!きた〜

「心に寄り添うプロ英語コーチ」、心屋塾マスターコース70期(なずマス4期)のララ子です。


何かに反応して、誰かを何かから、誰かから守らずにはいられないスイッチが突如入ることがある。それは、なぜなのか?

長年、手を返え品を変え襲ってくるパターンの一つが、誰かを誰かの攻撃から守りたい。真意は、みな、幸せであってほしい、穏やかでいてほしい、仲良くしてほしい、突き詰めると自由でいてほしいなんですけど、なぜ、自分に矛先が向かっているわけじゃないのに、誰かが攻撃されたり、いじめられたりすると過剰に反応し、過剰に防衛してあげたくなるのか謎でした。でもここ3日その感情を行動、言動と共に出しに出し切った。出し切ったらわかった。パッカーンきました!

あーまただー再受講した初級セミナーと同じ。母だーまた母だー!母 母 母。

潜在意識の底でまた母を見つけた。そして、小さい女の子の私も。私、この2人を守りたかったんだぁ。無力で、場の空気読んで、辺りを気にして、周りの顔色伺って、居場所がないこの2人を全力で守りたかったんだ。そうだ、そうだったんだね。今ではすっかり私は強くなって、あなたたちを顕在意識の中では忘れていた。でも今日ふとしたきっかけがあったお陰で思い出したよ。

私が、損得顧みず、誰かを何かから、誰かから必死に守らなくてはいられないのは、大好きなお母さんを大切な自分自身を守りたかったからなんだね。忘れてごめんね。辛かったね。大変な思いをずっとしたね。うんうん、よく頑張った。

あなたたちを守るために、ずっと戦ってきたんだ。ずっと見張ってきた。あなたたちが大丈夫か。でも、何となくもうその必要はないかなと思う。弱いお母さんも弱い私自身もそのままで大丈夫。そのままで幸せだった。そのままで、その場にいてよかった。

小さくて弱い女の子の私、嫌ってごめんね。お母さん、家族のためな自己犠牲ばかりで可哀想と思ってました。お母さんみたいな人生はイヤだな思ってました。お母さんみたいになりたくないなって思ってました。お母さんみたいになったらどうしようと怖れてさえいました。

大好きな、この世で一番大切な、私をこの世に産み落として、誕生させてくれた人なのに、こんな風に、お母さんみたいなるのが怖いまで、嫌悪して、ごめんね。しかも、心の深い深い奥底にこの思いを何年も隠したんです。

あー私、悪い娘だわ。最低だわ。
そりゃあ、真剣な話になるとぶつかるわけだわ。だって、お母さんのこと受け入れていないもん。ありのままのお母さんを否定してるもん。

だから、いつも理想のお母さんを思い描いて、その理想のお母さんみたいになってと母にお願いしていたんだわ。
 
でも、お母さんはあの時はああいうお母さんでいるしかなかったんだよね。夫側の大家族と同居し、みんなが仲良く生活していくためには、周りに気を使い、空気を読んだ言動するしかなかったんだよね。それは父に対する妻としての役割を果たしたいという表れだったのかもしれないし、私達を母として少しでも居心地のいい家庭で育ててあげたいという深い愛があるからこそ、どんなことも厭わず出来たのかもしれない。

お母さんは可哀想なんかじゃなかったのかもしれないね。案外要領良くて、父とは仲良しでずっと愛されていたのかもしれないね。あー心配し過ぎなだけだったのかもな。笑。

あーようやく謎が解けた。なんだー心配することなかったんだな。損した気分。でも、ようやく肩の力抜けたな。あっ、父がたまに母に怒ることあったけど、寝る前には仲直りしてたな。父の顔色気にすることなかったんだー。あー、いつものやつまたしてた。取り越し苦労。私のお箱。

じゃあ、嫌ってた大好きなお母さんと小さな可愛い女の子の私を今の私に戻してあげよう。 おかえりなさい。あーすっきりした。さあ涙拭こう、ってもう笑ってるし。

心が軽くなった。心が風になるー!
ぢんさーんのお陰です。本当にありがとうございます。
そして、京都でもらった言葉、「大丈夫」が最後に残ったことでした。

おかえりーわたし。
メリーXmas!