苦しい事 | あるがまま今を生きてみる。

苦しい事

 日々生きていると苦しい事や、辛い事はいくらでもおきる。
いくらでも起きるなんてものではなく、人生自体が苦しい事ばかりだと叫びたくなるなこともある。


 確かに中には、毎日を充実してワクワクしながら、愛や喜びに包まれて生活している人もいるし、そうするのも全て自分しだいだし、責任は全て自分自身にあることも充分いわかっている。

 
 でも今が苦しいんだ!
 今だけ出じゃない昔からずぅーと苦しんだ
 何で僕にはこんなに苦しみがつきまとうんだ~~~~!
 と叫びたくなることも少なくないなんて人も多いんじゃないのかなぁ


 なんて書いている僕もその部類の人間である。
ここ5年間ぐらいは心の平安なんてものとは正直ほど遠い生活をしてきた。


 しかし苦しみもすてたもんではないなぁと思う事も少なくない。
 
 
 まず一つ目に苦しい人の気持ちがわかるようになった。自分が苦しいからその分他の人に優しくなれる。これが苦しみをしらない、と自分自信の狭い尺度で、物事を判断して苦しい人にさらに鞭打つような、ひどい事を言ったりしたりしがちなのだ。

 実際昔の自分は、何でも人より出来ると思ってかなり傲慢であったし、人を責めたり傷つけたりすることもしばしばあった。
 その時はそのこにすら気付いていなかった。今思うと最低の部類の人間である。
 苦しみや悲しみ弱さを知る人間は一回り人間としての幹が太くなる気がする。


 次に自分自身と向き合うようになるってことがある。
 自分の心と向き合うんだ。
 今自分が何を考えて、何を感じて生きているのか?
 そしてどこに向かいたいのか?
 何がしたいのか?
 この人生はなんの為にあるのか?
 どのように生きていくのか?


 こんな事を色々考えていると
 なんでも自分でやってきたという傲慢な気持ちはいつの間にかに消えうせて僕たちは生かされているんだという事に気が付いてくる。
そして守られている事にも

 今ままであたり前だと思っていた、家があること。
 水が飲める事、空気が吸えること。
 体が動く事、物が見えること、耳が聞こえる事
 今日食べるものがあること。
 着る洋服があること

 こんなことは実は奇跡的な事ではないのか?
 そう思えてくる瞬間がある。
 そしたら
 苦しい生活の中にも
 感謝することが生まれてくる
 

 日々の当たり前の生活に感謝できる。

 
 当たり前に感謝できれば苦しみは
 いつしか喜びや愛に変わる。


 幸せしかなければそれが幸せなのかどうかわからない
 苦しみ悲しみを知る事で幸せを感じる事が出来る。
 
 だから体験したくて今生きている。


 だから体験を味わえばいい

 
 それが嫌になったら違う事を選べばいい


 僕もそろそろ喜びを選ぼう


 今日は終戦記念日
 今の僕たちの生活を守るために
 命を懸けて戦ったご先祖さまたちが
 今の日本を見て
 命を懸けて戦って良かった
 そう思えるような日本そして世界を創る責任が僕たちにはある。
 今の日本はどうだろう
 ウソやエゴに満ち溢れてないだろうか?
 


 今の僕たちを見て未来為に散っていった人たちはどうおもうだろう?