みとめられたい! | あるがまま今を生きてみる。

みとめられたい!

人から認められたい。
そんな気持ちは誰にでもありますよねぇ。


僕も人一倍強かったです。
初めて就職したときは、同期の社員よりも一日も早く出世したかった。
それは友人や親や知り合いあらゆる人たちにやっぱすごいねぇって認めてもらいたかったからだ。


会社を興して
代表取締役の名刺を人に渡すとき、とてもほこらしかった。
この肩書きがすごいって自分で思っていたしまわもきっとそう思ってくれると思っていたからだ。


会社の上司がよく俺がお前たちぐらいのときはこんなに苦労してこうしやったもんだみたいな話をするのも認められたいからだ。


人は誰だって認めてもらいたい。
だから自分自身を誇示しようとする。
よく見せようとする。


そしてその中にウソが入ってきたりすると
さぁ大変なんてことが起こったりする。


でも本当は自分を誇示するひつよなんて全然ないんだ。
老子のこの話はとっても参考になる。


曲なればすなわち全し
第22章
曲がっているからこそ命を全うする事ができる。
屈しているからこそ伸びる事ができる。
窪んでいるからこそ水をためる事ができる。
古びているからこそ命を宿す事ができる。
所有するものがすくなければ、得る物が多く、所有するものが多ければたちまち迷いが生ずる。
だから聖人はひたすら「道」をまもることによって、理想的な指導者となるのである。
自分を是としないから、かえって人から認められて。
自分を誇示しないから、かえって人からたてられる。
自分の功績を誇らないから、かえってひとから称えられる。
自分の才能を鼻にかけない、かえって人から尊ばれる。
聖人はひとと争そわない。
だから争いをしかけるものがいないのだ。
古人も曲なれば命全しと語ったが全くその通りである。
わが身を全うして「道」にかえろうではないか。

新釈老子講義/守屋洋


僕たちは人に認められたい。
認められたいがゆえに自己を誇示して自慢してひけらかす。
逆効果ですね。


老子のいう道にそった生きかたって
素朴だけど素敵ですね。


あなたの命に出会えてありがとう。