こんにちは。

 

今日は、

人生で忘れられない先生、二人の話。

 

今から40年から48年ほど前の話

 

ずいぶん昔の話だから許してね 笑

 

一人は、

3歳から卒園までお世話になった、

保育園の先生。 

 

やまでら うたこ先生。

 

優しくて、明るくて、大きい目と口が特徴。

 

笑うと大きい口が益々大きくなって、

太陽みたいな先生でした。

 

当時

保育園には

おっかない

おばあちゃん先生がいて、

 

お漏らしをすると

またやったのか!と、

 

大きな声で怒られるので、

 

それが嫌で

失敗しても言えず

もじもじと泣きたい気持ちでいると、

 

うたこ先生がそっとトイレに連れて行き、

パンツを変えてくれました。

 

卒園の時、

一人一人に

くるみの殻を使い手作りした、

小さい人形をプレゼントしてくれました。

 

その後、

何年も年賀状や

セレモニーのたびに葉書が届き、

いつもいつも、

私たちを気にかけて下さった先生。

 

先生の優しい眼差しを思い出すと胸が熱くなり

感謝の気持ちで一杯になります。

 

本当に有り難うございました。

 

 

もう一人は、

小学4年の時の担任

 

石川 一 先生。

 

一と書いてはじめ。

 

石川先生には、

父も教わったと聞き

親子二代でお世話になりました。

 

昭和の

古き良き時代の

破天荒先生と言って良いでしょう。

 

石川先生も

やはり明るくて人情に厚い

熱血先生でした。

 

ある日の授業中

 

プリントの裏に

落書きをしていたのが見つかり

取り上げられてしまいました。

 

プリントをマジマジと見た先生は、

ニヤリと笑い、

それを黒板の高い場所に貼り出しました。

 

そこには、

 

熊のイラストと くまごろう先生 の文字

 

熊によく似ていた石川先生の似顔絵でした。

 

怒られるだろう、と

ハラハラしていましたが、

 

こういうのは、大歓迎です!

どんどん書いて下さい!

 

と、言ったものだから

くまごろうブームが起き

くまごろう を書いて!

と、クラスメイトが紙を持ってくる様に。

 

一躍、クラスの人気イラストレーターになった私。

 

 

石川先生の思い出で

最も忘れらないのが

 

先生達の会合がある日は決まって、

 

私と友達に百円ずつ持たせ、

先生の通勤用の自転車を

家に置いて行く様、

頼まれる事です。

 

それでなくとも、

 

家まで4キロ近い道のりを、

45分位かけて歩いて帰るのに、

 

先生の自宅を経由するとなると、6キロ以上

 

それに、

 

大人用の大きい自転車を、

小学生の私達が乗れる訳もなく、

 

押して歩くと

ゆうに1時間半はかかって

やっと家に帰る。

 

今、子供にそんな事させた日には、

大変なことになるでしょうけど、

 

当時は、

先生の役に立てて、

尚且つお金も貰える。

 

お小遣いなんて無かったし、

臨時収入が入って、

やった〜!ラッキー!

と、思っていたんですから。

 

確かに、

おおっぴらには出来ない事はわかっていたから、

先生と私たちの暗黙のルールで、

黙っていたけど、

あの頃の時代って、

すごい寛大。笑っちゃう。

 

 

 

お二人とも、元気で暮らしているだろうか、

 

この頃、特に昔の出来事がまざまざと蘇り、

 

最近の事はすぐ忘れる。

 

昔から忘れんぼではあったけれど、

それがどんどん加速してる気がして、

自分って、年取ったんだなーと思わざるを得ない今日この頃です。

 

おしまい。