【 ミュシャの想い ~スラブ叙事詩への道のり~ 】
2019年3月9日より始まっていたこの企画展。自宅から程近い場所にあるものの、なにかと用事が詰まって行けなかったのですが、この6月8日、学芸員の方の説明を聞きながら拝見できると知り急ぎ参加しました。
この堺 アルフォンス・ミュシャ館。何故ここにあるのかと言うと、バブル経済に沸く高度経済成長期を知る方々ならご存知かと思いますが、『カメラのドイ』 の創業者であり、素描、油彩、油絵、彫刻など、世界にも類を見ないほどのミュシャの世界的コレクターとして有名な土井君雄氏(1990年没)の個人コレクションを、氏が新婚時代を過ごしたというこの堺に寄贈されたというなんとも素敵なお話からきております。
そのミュシャ館にて受ける事のできた 学芸員 川口さんの説明の回。今回はその備忘録。
ミュシャは聖歌隊や舞台の装飾画画家、彫刻家、などさまざまな顔を持ち、その評価から受けたサラ・ベルナールの公演ポスターを手がけた事で一躍人気アーティストの地位を築いていきました。
『サラ・ベルナールのポスター』
『 パリ時代のポスター 』
パリ時代の特徴は、モザイク模様、花のデザイン、円形のデザイン、構図。アールヌーボーの様相。初期のポスターに見られる特徴。
パリ万博当時のボスニアヘルツェゴビナとミュシャの祖国チェコの政治的背景を受けて、『司法制度のはじまりの絶賛』大国が小国を支配する関係を憂慮し、スラブ叙事詩の構想を持った。
パリ万博の仕事の後、ミュシャはアメリカに渡り、スラブ叙事詩製作のための資金集めを行い始める。この時期からスラブ叙事詩の為に油彩の制作を積極的に始める。
アメリカ渡航後初期の油彩はキリスト教徒の迫害の作品が多かった。当時チェコも同じような政治状況にあった為。ポーランドの小説をテーマにしていたことも。
『クオ、パティス』
1909年にようやくアメリカでスラブ叙事詩製作の為の費用負担のパトロンを見つけ帰国。そこから20年余りかけてスラブ叙事詩を製作することとなる。
『プラハ市民会館の内装』
帰国後の作品、1911年に完成。
チェコの人々にとって極めて重要な施設。過去、現在、未来を描いた大作。
1918年、チェコはチェコスロバキアとしてハンガリー帝国の支配から独立。その模様を美しく表している。
丸い円形の天井やステンドグラス、照明など、非常に多くの作品が残されているミュシャに浸れる場所。
『ハーモニーの習作 ・ ハーモニー』
ニューヨークのドイツ劇場の内装の先行作品(左側)。右側が実際の作品『ハーモニー』のレプリカ。
このハーモニーは左が明るく楽しげ、右側は暗く病的な印象とすることで、:ハーモニ=:調和、つまり人間の人生や世界観を表しているのではないか。相対する要素が調和して世界のバランスを形作っているのではないか、と。
『チェコスロバキア独立記念の紙幣や切手』
このようなデザインも行なっていたミュシャ。驚くべき事に彼は祖国の為、この仕事は無償で行われていた。
『ズデンカ・チェルニー』
パリ時代は商品のポスター制作が多かったが、チェコに帰国後は国の為のイベント、行事のポスターを作ることが多くなった。
小国としての民族独立意識を高める為のポスターにも協力。
『第6回ソコル祭』
プラハ市の棒釋を持った少女。
『1918-1928独立10周年』
チェコスロバキアを象徴する少女。チェコスロバキアの各地域を象徴する紋章の入った冠を抱く。スラブ民族の守護者スラビアが花冠を授ける図。少女はミュシャの娘がモデル。過去、現在、未来を表現。
『スラブ叙事詩展』
圧倒的な使命感に突き動かされた作品群。
50歳を越えて故郷に戻ったミュシャが20年を超える人生を注いだ作品。
このスラブ叙事詩は20点に及ぶ作品群(東京で2018年に展覧会、堺からも他に32点出展)で、
10メートル×5メートルという極めて大きなものを含む作品群。
このスラブ叙事詩は大国ハンガリー帝国に翻弄された小国であり、祖国クジーシュキ(チェコ)の為の作品群である。
この巨大な大作群は通常はプラハ国立美術館に収蔵されているが、2017年に東京でこの全20点が史上初めて国外に持ち出され展示された。この快挙もひとえに日本にミュシャの魅力を伝えた第一人者として、チェコ文化交流最高勲章を受けるほどの功労者であった土居君雄氏のたゆまぬミュシャ愛に拠る所が大きかったのではないかと。
今回、わずかに30分という川口さんのガイドではありましたが、この企画展、『ミュシャの想い』の通り、彼が故郷の歴史、文化、そしてそれらの存続への祈りと保護にかける熱い想いがこのスラブ叙事詩という歴史的な大作を作る上げたのだと知り感銘を受けました。
次回の企画展、『アール・ヌーヴォーの花園』 は7月6日~10月14日 の開催予定。楽しみです。