こころのとまり木 8−4 横浜市立鶴見工業高校 電子科の話 4
運動会が終わると秋も深まりました。
皆んな、就職のことで頭がいっぱいです。
この学校から大学進学を考えるものはほとんどいません。
学校全体で10名くらいだしょうか。
勿論、私も就職組。
NHKのADのオファーがありました。
ADとは何か?
説明を聞いたら電源ケーブルをあちこちに引っ張る仕事だと知りました。
何だか未来が暗くなりました。
そんな時に中学からきた友達が大学を目指すと言い出したのです。
もう、秋です。
今から間に合うのか?
しかし、何故か自分もやりたくなりました。
落ちたら、親父の知り合いの町工場で働こうと思いました。
勿論、私立は論外。
公・国立を目指しました。
小さな進路指導室にあった資料を見たら、20年くらい前の電子科の定時制にいた先輩が横浜国大の工学部に合格していたことを知りました。
これが自分の励みになったのです。
当時の私は単純でした。
この進路指導室にいた老齢の先生は変わり者でした。
東大を出ているようです。
倫理・社会の先生でしたが、クラスにきて挨拶ができないとエライ勢いで雷を落としたのです。
しかし、老人ということもあったのか誰も逆らいません。
とにかく怖かった。
そんな先生ですが、私が足繁くかよていたので声をかけられました。
その声はとても優しかった。
あの雷はフェイクなのかな。
「君、横浜市立大学の商学部はどうかな」
『?』
「横浜市の高校に推薦入学の枠があるんだよ。君、A推薦だからいけるんじゃないのかな。』
『自分はそろばんが苦手なので商学部は。」
「そうか、残念だな。」
商学部に情報処理学科があるとはその時、全く知りませんでした。
コンピュータだったら電子科から埒外ではなかったのに。
とにかく受験勉強。
授業が終わると図書室に直行。
図書司書のおばあちゃんと図書係の英語の先生と仲良くなりました。
帰りは遅くなります。
クラスに帰ると早く来た定時制の人がいます。
受験を目指していること、定時制の先輩に国大に受かった人がいることなどを話しました。
「頑張れよ。牛乳、やるから飲めよ。」
働きながら勉強する彼らには頭が下がりました。
*****
孤独でした。
図書室には人がいません。
誰も来ません。
そして孤独の原因は他にもありました。
私はクラスの皆からハブられることになったのです。
就職しないということからかな。
何故、今まではハブられなっかのか?
それはオートバイに関係がありました。
私は親父の影響で入学すると早くからバイクの免許をとっていました。
そして90ccのCL90というホンダのバイクをいじり回していたのです。
そう、バイクを分解する技を親父から教わっていたのです。
学校にも内緒で乗ってきました。
番長グループの人も乗ってきました。
そして互いにバイク談義をしていたのです。
このバイクは当時の「オートバイ」という雑誌の「売りたし・買いたし」というコーナーで知らない人から買ったものでした。
それとギターを持っていた。
バイクとギター。
不良の3種の神器の二つを私は持っていたのです。
残りの一つは「タバコ」。
これはやりませんでしたが、大学生になってからはいけません、ヘビースモーカーになってしまったのです。
バイクの分解整備とギターが弾けることが番長グループからある意味で認められていたのでした。
しかし、受験組になった瞬間、今まで仲良くしていた人。
彼に声を帰ると「ふざけんなよ」
びっくりしました。
誰も話をしてくれなくなったのです。
意地の悪いのは先生にもいました。
電気工学の先生は、ことあるごとに「この学校から行ける大学は〇〇大学くらいだ」と近所で最低の大学の名を言って私の方を見てなじりました。
皆んなは嬉しそうに笑いました。
今でも彼の顔は忘れません。
私はこの先生と例の応援指導部の顧問、この二人は許せませんでした。
*****
孤独でした。
そんな中、担任の国語の先生はやさしかった。
この先生、修学旅行で悪が酒を買い込んで飲もうとしている現場に来た時も顔色一つ変えずに私に買ってくれたのかありがとう」と言って持ち帰った。
私が国語の授業中に内職をしていると小声で
「そんな問題も出るのか?」
神奈川新聞に合格の記事が出たときにも朝早く電話をかけてきてくれたのもこの人でした。
続く