学校生活 43−4 コンプレックスからの立ち直り
これからが私のハゲとの辛い戦いの毎日でした。
当時、私には幼い子供がいました。
彼は肩車がとても大好きな子でした。
そして肩車をすると私の髪の毛をグチャグチャにするのです。
家の中では、参ったなという感じですが、お出かけとなるとそうもいきません。
歩いている間に段々、ハゲがあらわになって行くのです。
勿論、子供に罪があるわけではありません。
背も私の心はブルーになるのです。
ついつい、怒りが込み上げてくるのです。
お父さんはそんなことするともう肩車しないよ!
なんて強い口調になってしますのです。
子供にはそんなこと分かりません。
ただただ、ハゲが見えるのが面白いのでしょう。
ちょうど、あの暇の中学生の様に。
私は毎日毎日、鏡に向かって朝の儀式をしました。
ハード・ヘアー・スプレーで脳天を固める作業。
一体何本のスプレーを購入したことでしょうか。
家の中には使い切った空き缶がゴロゴロ。
こんな生活が30半ばまで続きました。
この悲しみは人知れずなのです。
きっと誰も私がそんなことをして毎日、職場の中学校に通っていたなど思いも及ばないでしょう。
私は極端な内弁慶タイプです。
外ではいつもでも良い顔をしている、穏やかな性格と見られている。
でも、内面では毎日ハゲとの激しい戦いなのです。
一番きついのは初対面の人に相当年上と見られること。
人は不思議なもので、自分で勝手に私を年上と思って接してきたくせに、本当の年がわかると突然、腹をたてて見下げた態度に出るものです。
何度もこんなことでやな思いをしました。
後ろから中学生の自転車が何台かやってきました。
ハゲ、どけよ。
ふざけるなもう一度言ってみろ!
こんなこともありましたね。
集合写真ではハゲを見られたくないのでいつも一番後ろ。
ハゲ、ハゲ、ハゲ。
なんで、自分だけがこんなことで悩まないといけないのか。
なんで、自分なのかよ。
恨みました。
遺伝か?
髪の毛が薄い母親を、母親の父である、つるっハゲのおじいちゃんを。
弟は今もバリバリです。
父親に似たようです。
43−5 に
続きます