5−2 こころのとまり木 久しぶりの関東、女子医大検査
女子医大のある若松河田駅を出て2、3分の所に「備後屋」はある。
ここは民藝の店。
私はここで金城次郎(沖縄の人間国宝)の「徳利」と「ぐい呑み」を買ったことがある。
金城さんはもう亡くなっているので、この店でも在庫は僅少。
以前に買ったぐい呑みは五個。
あと二つくらいしか残っていなかった。
今日はパン皿を探しにきた。
黄色に黒い紋様の湯町焼きの良いものが目に止まった。
この店には何十年も前から、女子医大のお世話になる前から通っていた。
この店は民藝の本流を行くお店だから陶芸作家の作品はあまり置いていない。
金城さんとはお知り合いなので置いているらしい。
前に金城さんの「ぐい呑み」を買った時にお店の人は砥石で高台の底を滑らかにしようとした。
私は慌てて辞めさせた。
何せ陶芸作家の作品は本人が削らない限り価値が落ちるから。
この辺がこのお店の民藝本流たるものだけど。
無名の職人の雑器も人間国宝の作家の作品も同じ扱い。
備後屋らしい。
柳宗悦の民藝運動。
日常の雑器に用の美を見つける。
沖縄で柳宗悦をはじめとして浜田庄司、河合寛次郎らがまだ壺屋で職人として作陶していた金城次郎を見出した。
当時、金城次郎は多くの職人と同じに陶印を入れなかった。
だから今でも本当は金城次郎が作ったのにそれが判らない作品は沢山ある。
金城次郎は民藝運動家たちに強い影響を受けて作陶し始めた。
そして陶印として「次」を使い始めた。
今では浜田庄司も河合寛次郎も金城次郎も高価だ。
農家に転がっている日常の雑器を愛でて抹茶茶碗に見立てた
その心は利休そのものだと思う。
でも結局、良いか悪いかは別として民藝運動は雑器を作る職人を次第に作家に変えていった。
そうして庶民の手が届かない高価な品に変えていったような気がするが。
そういった意味で私にとって。備後屋こそ民藝の本流だと思う。
その心は良いものを安価に売ること。
工芸と美術の違いかな。
*******
道路を渡ってすぐのところに「小笠原伯爵邸」はある。
戦後はGHQに接収されていたらしい。
この洋館はとても素晴らしい。
イスラム文様のダバコ・ルームが中々。
庭の束になった大きなオリーブの木も見所。
何回かここで食事をしたことがある。
一度行って見る価値がある。