教師塾 8 付記           教職課程の履修生の文書から 

 

 

 

付記として教職課程の履修生からの文書をアップします。

 

Aさん

 

この講義を受けるまでの自分は「良い教師」というのを教え方が上手で生徒からも人気がある人と考えていた。

 

しかし、この講義を受ける中で、現在の中学生の意見や他の履修生からの意見を聞いて自分が目指す教師像は果たして「良い教師」なのかどうか真剣に考えるようになった。

 

今でもこのことは良く分からない。

 

この講義を全て受けてから気づくのかどうかも判然としない。

 

現時点では自身の掲げる理想の教師像に近づこうと努力している人が「良い教師」なのではと思う。

 

常に自分を高めて精進していくということかな。

 

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Bさん

 

この講義を聞いて思ったのは「先生の大変さ」です。

 

世間一般では先生は勉強を教える人と自分たちが知らない知識を知る人と言ったどちらかというと技術的熟達者と取らえられているかな。

 

塾や家庭教師でも教えるのが上手い人が良い先生

 

先生が語る現場で起きている日々の事を聞いて、教えるのが上手いだけでは「良い教師」とは言えないと思った。

 

勿論最低限、教えることは上手くなければいけないけど。

 

生活指導や学習指導などトータルでやれる人が「良い教師」のかな。

 

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私のコメント

 

 大学を除いて小学校・中学校と高校とでは教師の意味合いが大分違うと思います。

 

小・中学校では専門知識の学習を教えるのを特化する必要はあまりないが高校はそうは行きません。

 

これには学齢が大きく影響する事でしょうね。

 

そういった意味で小中学校は生活指導がとても重要なことです。

 

しかし、最近はどうも高校でも知識の習得の前段階でメンテナンスが必要な人が増えているみたいですね。

 

本来なら乱暴な言い方をすれば高校は行かなくてもいいところなのですがね。

 

今時、高校へ行かない人は稀ですね。

 

これが時代の流れなのでしょうか。

 

大学でもこの現象は出てきていますね。

 

幼稚化と言ったらそれでおしまいですという問題ではない社会問題ですね。

 

ちなみに英国では皆が皆、大学には行きません。

 

大学に行くのは高い学問の知識と教養を身につけたい人だけです。

 

つまりお勉強がしたい人だけが行くのです。

 

そう望まない人は専門学校でスキルを磨いて就職するのが一般的ですね。

 

これを能力の差別と捉えるかどうか。

 

だから専門学校はとても沢山あります。

 

スチュワーデス(今はこう言いませんねCAかな)になるのに専門学校に行く人が当たり前と聞いたことがあります。

 

ケーキ作りのパティシエとか。

 

現実には世界の大学の役割は日本と大きく違うことは確実です。

 

だから大学や大学院に進学したら死ぬほど勉強しないと卒業できません。

 

何せ学部は教養課程なしに、いきなり専門課程3年間で卒業ですからね。