学校生活28 手作り模型 

 普通部の会報誌より私の文を抜粋

        (少し加筆しました)

 

手作り模型

慶應義塾普通部の生徒にとって労作展(作品展)は本格的に取り組めば取り組むほどに大変な課題ではあると思う。

けれども一生にうちに自分の作品を見せる、あるいは観てもらうことは、その道で食べていかない限り滅多にない事だと思う。

この経験がやがて見る側に回った時にも極めて為になる。

これも労作展の良いところだろう。

不思議なもので人前に作品をさらそうとすると欠点がやけにクローズアップされる。

そしてもう少し、もう少しと手直ししたくなり、徐々に欠点が改善されていく。

こんな気持ちを抱きつつ白々とした夜明けを迎えた諸君の何と多い事だろう。

名は体を表すと言うが作品もその人となりを表す。

とても厳密な性格な人、おおらかな人、木が好きな人、模型が好きな人、プラスティック、紙が、電気工作、布、そして金属が好きな人。

十人十色、決して同じ人はいない。


最近、建築の分野で模型を作れない学生が増えていると聞く。

コンピュータの導入のお陰でCAD(キャド:PCで設計図が描けるソフト)が扱いやすくなり設計が以前に比べて格段にやりやすくなったことの弊害かもしれない。

パソコン上では実際にはできない構造物が簡単に画面に描かれてしまう。

その点、模型は正直である。

出来ないものは出来ないのである。

エッシャーの騙し絵を作ることは模型では不可能である。

プロの建築家の方にとっていくらパソコンが便利になっても模型作りは外せない理由がここにある訳だ。

このように素晴らしい手作り模型が今年も多く出展されていた。

我が校の生徒の面目躍如と言ったところか。


また卒業生の話の中にこんな話題があった。

演劇の舞台装置を作るのにまともにノコギリやカナヅチを使えない、と言うよりも使ったことがない学生が多数いると言う事実。

このままでは人は手仕事を放棄してしまうのかと考えるのは、ちと、大袈裟だろうか。

我が校で初のうちはおぼつかない手つきで足踏み糸鋸を使っていた一年生も今では手慣れた手つきで機械を操っている。

人の能力とは何と偉大なことかと毎年感心する。

一年生は三年生になる頃には私をも追い抜いてしまう程。


続けて欲しい。手仕事を

高校に進学しても大学に進んでも、そして社会人になっても。


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生徒の文書です



三年間を通じて

三年○組 〇〇 Y

三年間作品展を続けた。


今年で最後になるであろう労作展・・・・。自分の集大成として、三年間続けた「1/20模型」のシリーズのフィナーレとして、自分の技術を十二分に使った作品を製作しようと硬く心に誓った。


まずは、どこの教室を作るか?と言うところから、教員室・理科室・体育館や美術室、色々なことを考えた。

その中かで、自分自身一番思い入れが強い「技術室」を製作しようと思った。


五月から寸法・撮影、六月から製作開始、今回は余裕が持てるのではなかろうか?

そう思いかけた矢先、我が校の旧本館の取り壊しの日程が決まった。

二度と見られなくなってしまう普通部旧本館、自分で出来るなら何らかの形で旧本館の形・雰囲気を残したいと思い、技術室「1/20」と「1/100(旧本館)」と言う縮尺の違う二つの模型を作るという大変さを知りながら二作品を製作することにした。


やはり、夏休み中盤当たりになると焦りが出てくる。


「出来ないんじゃないか!?」


パニック状態におちいり、一度は旧本館の製作を諦めかけた。

毎日六時間睡眠で技術室製作に全力を注ぎ込み、何とか完成にこぎつけた。そして旧本館・・・・


試行錯誤を繰り返した結果、九月までずれ込んでしまった。


しかし、最後の部品である「アンテナ」をピンセットで設置して完成。

その瞬間、「よかった」という安堵感と、言葉では表現しきれない満足感が心の中を占めた。


労作展とは、僕にとって「楽しみ」でもあり「授業」でもあった様な気がする。


形というものを持った物を作る大変さと大切さ、寸法などの目立たないがそれが一番大切であると言うことを改めて体験したと思っている。


また、一から十まで自分で製作してみることで色々みることができた。

それは、こだわりということである。製作回数を重ねるごとに、自分の心の中に「こだわり」と言う四文字が出てくるのが、手にとるようにわかる。

例えば、机と椅子コンビニついてであったなら、多少、色は実物と違っていてもよいが、この二つの作品(机・椅子)の色というコンベネーションが確実に合っていなければならない、と言う様なことである。


この「こだわり」は、一年生の時にはあまりなかったが三年間の作品展を続けて身についたことである。


労作展は、確かに本気で、夏休みを全てかけて、取り組むと、かなりハードで苦しくきついが、その分、作品が完成すると嬉しくて、嬉しくてたまらない。

それより夏休みを一つの作品というものにかけたと言う、充実感が味わえる。


改めて三年間を振り返ってみると、長い様で短かった様な気がしてならない。

つまり、それだけ作品展はが僕にとって大きなもので、目標であったからではないあろうか。


今、家に一年生の時に製作した「1A教室」がある。それを見ながら、ふと、一年生の時の自分を思い出す。

そい言う意味でも、労作展は、自分が普通部の生徒として充実した生活を送っていたことを示す誇りであると思う。


今、労作展や色々な行事が終わりホッとしているが、少し寂しく物足りない様な気がしている。

あの独特な感じ、雰囲気、空気、何とも言えない様子、これからもずっと労作展が、夏の暑さが残った秋に行われて欲しいと思っている。


我が校の生徒として・・・・。