学校生活20 慶應義塾普通部労作展(生徒作品展)職員HさんのCDアート 

普通部の会報誌より私の文を抜粋しました

 

労作展(作品展)は「自分自身の発表の場である」と書いたことがあった。

 

それは今の自分の成果を外側に向かって打ち出す事。

 

自身の中からの自然な発酵。

 

それには何かしたいという動機が必要だ。が、必ずしも持っている人ばかりとは限らない。

 

結局、労作展があるからやらなければと思い何かをとりあえ

ず始める生徒諸君も多いのではないか。

 

この事は労作展計画表に顕著に現れる。未定なんて生徒も時々散見される。

 

人は往々にしてして足かせがないと何かを始めない。

 

労作展がその一助なるのも良いことかもしれないが個人的には学業の一環だけとは見たくない。

 

あくまでも発表の場、個人の発表できるチャンスと捉えたい。

 

だから種を仕込んで発酵させた結果として作品を並べてみると欲しい。

 

勿論、時間はかかる、今年の作品展を終えた時から仕込みを始めたい。

 

日頃からの貪欲な好奇心が頼りになる。

 

何時でも小さなメモ帳を持ち歩こう。

 

些細なことでも興味が湧いたらメモを取ろう。

  

 

閑話休題

 

今年はギャラリーに普通部職員、Hさんの作品が飾ってあった。

 

ゴミ捨て場にあったCDーROMを切り刻んで切り絵のように用いた。

 

これが作品を作ろうとしたきっかけと聞く。

 

このゴミから美しい花が咲いた。全体的にキラキラしていた。

 

魚をモチーフにしたものがある。新鮮。

 

まさに魚としての鮮度の意味でも新鮮だった。

 

花火、紅葉、・・・どれを取っても色鮮やかに表現されていた。

 

何故、Hさんはギャラリーに自分の作品を展示したのだろうか。

 

これらの作品、人に頼まれての展示ではない。

 

彼は前々から色々のものを廃物利用して作り続けている。

 

それが彼のテーマ。

 

私もゴミになる紙屑を少しづづストローにして作った五月人形の兜を頂いた。

 

かつては一年生の教室の前にコピー機の外側のラッピング紙を使ってヒモを作りゴミ箱を編み上げて設置した。

 

勿論、誰に頼まれたわけではない。

 

用務員室の前には同じ材料でお雛様や兜が飾ってあった。

 

そして今回のメジャーデビュー。

 

どうしても自分の行為を見てもらいたかったのだろう。

 

発露する必要に駆られたのだろう。

 

この行為はこれからもずっと続く。

 

作りたいから作る。

 

この様な行為を持っている人はなんて幸せなんだろう。

 

楽しくてしようがない、作ることが。

 

この様な人が我が校にいる。

 

宝である。

 

一人でも多くの諸君がこうなってくれることをながってやまない。

 

Ps:その後、Hさんは横浜馬車道で個展、かつて我々がグループ展をした原宿表参道の同潤会アパートでも個展をやりました。