学校生活 10 

慶應義塾普通部で

生徒に最高の賛辞を与える言葉、

それが「変なヤツ」です

 

普通部でのある会議、

 

その会議でN君の名前が出てきました。

 

その時、美術の先生から彼は成績は悪いが絵画に関しては「天才である」という発言がありました。

 

当時の私にはその言葉が全く意に会しない感じでした。

 

彼は美術部に属しており、放課後にふらっと美術教室に現れ、油絵を勝手気ままに書いていました。

 

ある時、私はイーゼルにかかっていた彼の絵を見たのです。

 

それはグラウンドのサッカーゴールあたりの風景画でした。

 

その絵は素人の私にも透明な空気感を伝えてきました。

 

今でもその絵の印象は忘れられません。

 

木々の葉の色、緑、黄色、赤、オレンジ、そして夕焼けかな。

 

とても中学生の絵には思えない。

 

このことを美術の先生は言っていたのか。

 

彼は中学生のくせに描き終わると芸術科準備室に入り浸ります。

 

私の私物化技術科準備室の常連でもありました。

 

彼はバッハが好きです。

 

トッカータとフーガ。

 

ジャズが好きです。

 

テイクファイブ。

 

レフト・アローン。

 

コーヒーを飲みながらよく聞いていました。

 

注:私は中学生にコーヒーは出しません。背が伸びなくなると言われていたからです。しかし、彼は例外。出さないわけにはいかない、大人のオーラがあるのです。

 

まるで私たちと同等の様な振舞い。

 

熱く芸術論を語ります。

 

彼には逸話があります

 

彼は何故か野球が大嫌い。

 

この事でクラスメイトと論争になり、教室のドアを蹴破りました。

 

この事が担任のH先生の耳に入り現場に呼び出されました。

 

私もその場に行きました。

 

H先生はとても粋なはからいをしました。

 

「元通りに直したら許そう」

 

すぐさま、彼は美術室に行き、何かゴソゴソと用意をして戻ってきました。

 

穴の空いた所はもしかしたら私が手伝ったかもしれません。

 

しかし、ここからが驚きなのでした。

 

N君は絵の具を巧みに調合してモノの見事に穴を開けたドアと同じ色で修復したのです。

 

これにはH先生も私も驚きました。

 

勿論、約束通り彼は許されました。

 

彼は何人目の「変なヤツ」になるのでしょうか。

 

彼に私は心の中で「変なヤツ」の称号を与えました。

 

その後、彼はなんとか普通部を出て高校に推薦されました。

 

しかし、半ばで中退。

 

その後、原宿表参道での私たち芸術準備室の仲間のグループ展(カオス展)に作品も出しました。

 

教え子とは思えません。

 

その後、大検をとって沖縄に流れて行きました。

 

仕事で関西に来た彼と久し振りに京都駅で会いました。

 

唐突に前の日にメールが来たのです。

 

全く彼らしい!

 

今、彼はもう立派な家庭持ち、子持ちの中年。

 

とある私立の有名芸術大学の教授をしています。

 

教授会、大丈夫なのかな?

 

私は彼に自作のペーパーナイフをあげようと思い、持参しました。

 

「一本、いや二本だよ。

 

彼は三本持っていきました。

 

気に入ってくれたんだ。

 

3時間があっという間に過ぎました。

 

全く変わらない。

 

彼らしさが全く変わらない。

 

永遠の「変なヤツ」

 

 

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