今日は昨日の記事の続きを書きます。
先日参加した産業カウンセラー養成通信講座の面接実習のセッションで、クライエント役のときに話した内容です。
昨日の記事では、
・現在の私の本職が機械設計と商品デザイン&設計であるということ。
・不景気になってから取引先にCADを貸してもらうことができなくなり、機械設計の仕事を続けるためには高価(100~500万円)なCADを自分で導入しなくてはならなくなったこと。
・不景気になってから時間単価が大幅に減らされ仕事量も不安定になったので、CAD導入に投資をしたとしても、回収できる見込みがないこと。
・CADを貸してくれる会社という条件での新規開拓も困難なこと。
・以上の理由によって、現在機械設計ではなく、やりがいを感じない取説やパーツリスト(3Dイラスト入り)作成の仕事を中心にせざるを得ないこと。
…などを書きました。
今日は、感情の部分も含めて、昨日の続きを書いていきます。
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私は、車や機械などのメカニカルなものや、本物の持つ機能美を感じさせる道具などが好きだ。
それをゼロの状態から生み出すのが一番好きだ。
これまでの私の仕事には、
・ゼロから生み出したもの
・担当箇所のみ部分的に設計したもの
・もともとあったものを改良したもの
・大きなプロジェクトの一員として参加したもの
・試験や試作を主に担当したもの
…など、様々な関わり方をしてきた作品たち(商品たち)がある。
時代の流れとともに消えていったものもたくさんあるが、今でも現役で働き続けているものもたくさんある。
そして、それらと対面する機会もよく訪れる。
例えば、訪問した工場(生産機械や工作機械や部品など)や、建設・建築現場(機械や道具)、路上(バス)、ホームセンター、ご家庭の庭先などでよく見かける。
そんなとき、私はまるで昔の写真を見たときのような懐かしい気持ちになる。
そして、頑張って働いている(存在している)様子を見て嬉しさを感じる。
先日、こんなこともあった。
昔いた会社のHPの通信販売のページを見ると、驚いたことにそこには私が20年前に設計した商品が今でもそのままの形で販売されていた。
懐かしさを感じるとともに、少し照れくさくなった。
なぜなら、当時から20年間の経験を重ねてきた今の自分の目で見ると、商品から少し稚拙な部分が見えてしまったからだ。
それでも、そんなことは自分にとって大したことではなく、やはり懐かしい気持ちが大きく膨らみ、当時に思いを馳せることとなった。
当時は今ほどCADが普及しておらず、私が勤めていた会社にもなかった。
そのため、私は紙に手書きのスケッチでデザイン案をいくつも描き、それを社内で回覧して一番評判の良かったデザインを採用していた。
そして、そのデザインをベースに設計していたのだが、当時はドラフター(水平直角の出る可動式スケールのついた製図台)を使って手書きで図面を書いていた。
あの頃は、日本が上昇気流に乗っていた時代。
一番楽しく情熱的に仕事が出来ていたのは、あの頃だったような気がする。
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昔話を語り続ける老人のように、調子に乗って語ってしまった。
何が言いたいのかというと、私は機械設計という仕事が好きで、今までずっと誇りと情熱を持って取り組んできたということ。
「お前の好きなように作れ」と完全に任されたときなどは、休みなんて欲しいと思わなかった。
ゼロからものを生み出すことが、ただただ楽しくて夢中になってやってきた。
だけど今は、現実は…
機械設計ではなく、やりがいを感じない取説やパーツリスト(3Dイラスト入り)作成の仕事を中心にせざるを得ない状況となっている。
私が情熱を注いで生み出してきた、あるいは関わってきた作品たちは今でも多くが健在で、いろいろな場所で働き続けている。
けれども…
機械設計の世界において
私の居場所だけが無くなっていく…。
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個人事業主の私には、相談したり分かち合ったりできる同僚がいない。
物事を決めるのも、行動するのも、いつも一人で行っている。
いい仕事をして喜ぶときも一人。
取引先からひどい扱いを受けて、やり場のない怒りややるせなさを感じるときも一人。
問題に直面して、自分を奮い立たせながら乗り越えるときも一人。
とても寂しい。
そんな私の居場所がとうとう、無くなっていく…。
機械設計の世界から離れるときも一人。
過去に一緒に仕事をしたことのある人たちには気づかれることもなく、ただひっそりと消えていく。
正直に言うと、とても寂しい。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
あんなに情熱を注いできた世界なのに
20年間以上も続けてきた仕事なのに
僕の居場所だけが
無くなっていく。
僕は静かに消えていく。
今日も、ありがとうございます!
皆さまが、笑顔いっぱいでありますように!
寂しいけれど、(ご存知の通り)私は次のステージに向けて動いているので大丈夫です。
心の中に秘めている寂しさを、表に出したくなったので書かせていただきました。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
ちなみに、面接実習の先生からは「寂しさが強く伝わってきて、こっちまで寂しくなってきた」というお褒めの言葉をいただきました。