渇望を取り違えていませんか? | 灯台からの光

灯台からの光

いつも良い気分でいよう。明るい良い気分は幸せへの道を指す灯台からの明かり。

「愛されたい、認められたい」そんな風に感じて、孤独感を抱えていませんか?
自分の若いころを振り返ると、そんな衝動だけで人生を送っていたことが思い出されます。

最近になって、失恋とかでヘロヘロになっている人を見たりすると、昔の自分を思い出したりします。

人間として過ごしている限り、「安全欲求」を捨て去るのは本当の覚者でないと難しいと思います。でも、そうした衣食住の安全が確保されているのにもかかわらず、人や物への渇望があるなら、それはベクトルの誤った渇望です。

人は神(やら源泉、タオ、創造主、クリシュナ等)へ向けるべき正しい渇望を、別のものへ向けているからこそ「ヴィトンのバッグ持ってないと恥ずかしくて死ぬ」なんてことになるんです。それが苦しみです。

そして、常に心の求める方向が神に定まっていれば、手に入るべきものは手に入るのです。そして何も手に入らずとも、最高に楽しく過ごせるのです。

しかし、もっと深く言えば、人の心が神から逸れているということ自体も、神の決めたことなのです。
俗世の渇望・・・・、彼氏がほしいとか、海外旅行に行きたいとか、そんなことを心が強く求めて、神のことを一切考えずにいられること自体、神から定められたのです。
神が望んでいなければ、あなたは神から目を背けること自体できないのだから。