マーヤーなんて、まーいーや | 灯台からの光

灯台からの光

いつも良い気分でいよう。明るい良い気分は幸せへの道を指す灯台からの明かり。

寒いギャグにもなっていないギャグをタイトルにするほど、マーヤー(幻想)に巻き込まれているのは、ここ最近忙しいからでしょうか。

時間があって好きなことだけしていられると次第と精神は安定し、幻想の「重さ、重大さ」に巻き込まれることが少なくなります。よって人生は軽やかでシンプルになります。

「忙しい」とはなんとかの身に振って湧いた「悪い」状態は、ある種の運命的なものともいえます。

誰が好き好んで、忙しかったり、病気だったり、変な癖を繰り返したりするでしょうか。
そういうものは、生まれつきの傾向なんです。ヨガをやってると、「3つのグナ」なんかについて聞いたことがあるかもしれませんが、人の生まれつきの性質やら、生まれついた環境は人が選べるものではありません。簡単にいうとそういうのは「運命」という言葉で片付けられます。
一言で片付けるにはあまりに辛いこともあるけど、まずは、受け入れましょう。

私は、あるお祝いのプレゼントをおねだりしたのですが、それは腕輪で「fiat voluntas tua」(注・英語ならThy will be done)という字が彫られています。意味は「御心のままに」とか「汝の意思がなされますように」とかいったものです。
この言葉の意味を常に受け入れること、それができたら俗に言う悟りの境地にあるのでしょう。
だから、状況を受け入れることは私の人生の課題です。それが課題だということを気付いた時点で、課題の8割以上は片付いたも同然ですが、まだそれを完全に受け入れるには至っていないなとたまに思います。

状況を支配したい、思ったとおりにしたい、自分が道を開く……そういったことが、根本的に言えば「元から一度たりともできたことがないし、できることは将来もない」ということを「知る」のが、最初のステップです。
そして、2つめのステップは、「全てを自然に受け入れつつ生きる」というものです。老荘思想でいう「無為自然」というのもこういった生き方なのでしょう。何か面倒なことが起こったときも、それを「まーいーや」と受け入れると、問題を解決する力もやってきます。そして、面倒な問題それ自体も神の見せている幻想であることが見えてきます。