【岡本太郎一家と近藤勇一族】

春に向かう三寒四温の今日この頃。今朝起きたら?かの子さん(太郎さんのお母様)から以心伝心と電波が届き、急遽、多摩霊園に墓参に行って参りました。言わずと知れた日本に革新的な芸術活動をもたらした先駆者、多磨霊園(東京都府中市)に眠る:岡本太郎一家と、京都の治安を護り百姓から大名並の地位(幕臣)まで上り詰めた新選組局長:近藤勇一族の墓参です。(東京都三鷹市/龍源寺)

御二人からは精神的な支柱や人格の形成に、少なからず影響を受けた人物です。

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さて春の墓参。供養することによって綺麗な場所にもなるし、聖域と向き合う事で自身の霊感など精神修養を高められる!そんな感じでしょうか。

ちなみに戦争が始まる直前までフランス留学していた太郎さん。かの子さんから届く手紙と、彼女の死に際について父親〔一平〕から届いた手紙をまとめ、出征前に生きて帰らぬ思いから『母の手紙』として出版しました。

太郎さんの芸術はまだバクハツしておりませんが、実は3人共それぞれの立場から家族の絆について本を発行していた経緯があります。

戦争が終わり無事に生還した太郎さん。一平さん亡き後に注釈を加えさらに、新装『母の手紙』として刊行しました。その序章に『伊豆の踊り子』で有名な〔故〕川端康成さんが《岡本一家》に向けた序章を引き受けてくれたそうです。(昭和25年頃の話)

その名文が石碑となって墓地の区画に鎮座されています。原文のまま、ご紹介しますね。⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎
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岡本一平、かの子、太郎の一家は、私になつかしい家族であるが、また日本では全くたぐいない稀な家族であった。

私は三人をひとりびとりとして尊敬した以上に、三人を一つの家族として尊敬した。

この家族のありように私はしばしば感動し、時には讚仰した。

一平氏はかの子氏を聖観音とも見たが、そうするとこの一家は聖家族でもあろうか。

あるいはそうであろうと私は思っている。家族というもの、夫婦親子という結びつきの生きようについて考える時、私はいつも必ず岡本一家を一つの手本として、一方に置く。

この三人は日本人の家族としてはまことに珍しく、お互を高く生かし合いながら、お互が高く生きた。深く豊かに愛し敬い合って、三人がそれぞれ成長した。

古い家族精度がこわれ、人々が家での生きように惑っている今日、岡本一家の記録は殊に尊い。
この大肯定の泉は世を温めるであろう。 《川端康成》

『母の手紙/岡本太郎』序より