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今日は、さろんごとをアップするのではなく、

ここ最近の、自身の気付きをアウトプットしたくて書いています。長くなると思いますので、読むのがしんどいと感じるかたは、ここでストップして、次の投稿をお待ち頂けたらと思います💦







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私、友人が多いと思われがちです。

しかし、私、気づいてしまいました。


私には『知り合い』は、たくさんいます。(そもそも、『友人』の定義も人それぞれだと思うので、何とも言えませんが💦)でも、『友人』は、いないのかも?と。


『風の時代』といわれる昨今は、いろいろなところで『コミュニティ』や、『仲間づくり』や、『交流会』などが行われているように思います。


人との繋がりを作りたいと、今、思っているのに、どうしても繋がることに恐怖心と自己嫌悪感が表出するのです。

『仲良くなりたいけど、なりたくない。なんなら、一人でいたい。』そんな気持ちが勝る。


その『交流』や『繋がり』に関して、自分の中で蓋をしていた『ニガイ感情』が、浮上してきました。



私は、過去に、自分から人との『交流』を断って、『一人で頑張る』という方向で人生を歩むと、決めた瞬間があったことに気がつきました。(実質、一人では生きていけません😅まあ、簡単にいうなら、『こんなに傷つくのであれば、もう、友達は作らない』と決めた時期。)その、出来事の話。






今から2◯年前の話。まだ、看護学生だった頃。
実家から離れて学生生活を送っておりました。念願だった『独り暮らし』も始まり、1年半たった頃の話。

当時、住んでる場所も同じアパート(1階と2階)で。入学当初から仲良くさせて頂いていた友人がいました。その友人とは、選択科目も同じで、講議のときはいつも隣の席で、毎週末、一緒に市内に遊びに行き、私の(当時の)彼の幼馴染みさんを紹介し、付き合い始めたりと、、、当時、一番仲の良い友達だったのです。

彼女とは、何でも話せる仲だと、私は思っていました。
入学当初から、いつも隣にいてくれて。色んな話をできる仲で。親のこと、将来のこと、小さい頃のこと、恋の話、バイトの話。とにかく、色んな話と色んな思い出を作っていました。




2年生の秋に入った頃。
その頃の私は、彼氏の浮気を発見してしまい、沈んでいて。時々、相談にのってもらっていた頃。

友人が急に、講義へ来なくなりました。そして、そのまま休学届けも出されていました。

私は、急だったこともあり、彼女の家へ駆けつけました。しかし、彼女は留守。または、居留守。連絡も全てスルー。(1週間ほど)

彼氏さんが毎日、彼女のアパートに来ていることは知っていたので、彼氏さんがいる時間帯に、勇気を出してピンポンしてみました。

彼女は部屋にはいたようですが、彼女の彼氏さんが出てきて『もう、仲良くしたくないって。だから、来ないでくれる?』と。

。。。理由もわからず、会うこともなく、友達をやめたいとだけ、しかも、本人ではなく、彼氏さんより言われる始末。


あの頃の私は、今より熱血漢で、感情のままに生きていたので😅『どうして、友達やめたいのか?何でなのか?』と、玄関先で、友人の彼氏さんと口論😂




友人の彼氏さんから『何でも話せて、一緒にいるのが友達って訳じゃない。寂しいとか、どうしてとか、自分で何とかすればいいことだろう!』っと、切れ気味に。

絶句した私は、何も言えず、そのまま扉は閉じられ。

夜の21時過ぎにも関わらず、どうにも辛くなり、バスで二時間はかかる祖母の家へ行こうと。
夜の町を、泣きながら、さ迷いました。(祖母の家までのバスの最終便は20時なんです😅終バスはもうでた後だったので、小一時間バス通りを歩きました。)

看護学生2学年の秋からは、看護実習が始まる時期で、レポート三昧の日々になるんですが、そのしんどくなるであろう時期から、一番仲の良い友人に、『仲良くしたくない』と言われ(本人からではないけど😅)、スルーされて不安なところに『自分で何とかすればいいことだろう』と言われ。歩きながら『絶望感』みたいなのを感じて。

実家も遠くて、祖母の家も、歩いていくには無理な距離で。トボトボ歩きながら『孤独だなぁ』っと。



町の明るさが消えて。ここからは山道になるであろうところで、友人から電話がかかってきて。『今、どこにいるの?』と。

祖母の家に向かっている旨を伝えたら『待ってて!迎えに行かすから!』っと。友人と友人の彼氏さんが、迎えに来ました。そのまま、友人の家へ。

『ごめんけど、学校も休学するし、アパートも引き払って実家に戻る。』(彼女の実家は同じ市内で、車で1時間ほどの場所。)
『復学する頃には、卒業してる頃だと思うし。理由は言えんけど、今後は、仲良くできん。』

言われたままを、聞き流し、絶望感と孤独感を抱えたまま、学生生活に戻りました。




その後は、後の席にいた同級生や、実習で同じ班となった同級生たちと、時々、愚痴のみ会をしたり、看護実習本格化で、忙しい日々に追われていて。

3年生となった夏休み明け。後ろの席の同級生が『めいちゃんが仲良くしてた彼女、この8月に出産して、女の子が生まれたんだって!良かったよね~✨』っと、話していて。

。。。顔面パンチを喰らった気分でした。

他のこたちは、休学理由を知っていたのです。
私は、知らされていない上に、絶交されていたので。
超絶、ショックでした。

同級生いわく『めいちゃんが一番に知ってるんだと思ってた❗』っと。

その時にはじめて、休学理由と絶交された理由を知りました。それを同級生に伝えたら『実習やレポートでしんどくなるの、わかっていたから、一番に仲のいいめいちゃんに、一番言いにくかったのかもね💦』と、フォローくれました。


聞いたその日に、約1年ぶりに連絡をして。『実は、籍を入れて、子供生んだの。子供が一歳になったら復学する予定』ということを聞き『おめでとう』だけ、伝えました。



卒業式後、謝恩会の待ち時間の間に、同級生の三人とともに、彼女と彼女の赤ちゃんに会いました。

私は、その後の就職先が県外に決まっていたので、『もう、会えないかもしれないけど、実習がんばって、看護師になってね。』とだけ伝えました。



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。。長い😂しかし、よく覚えていたな、私😂

あの頃から、私は、人との交流が怖いらしい。

その、恐怖心を大丈夫に変えたくて、必至(必死)な今です。

長いアウトプットにお付き合い頂き、ありがとうございました🍀