●ジャズがわかる超簡単!「ジャズの歴史」~②ジャズを流行させた4人(全4回) | 自分を幸せにする脳と心からのヒント

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脳と心のカウンセラー、やっちゃん先生こと永井康雄です。
 

 

 

簡単な歴史とスタイルの違いがわかっているだけで、ジャズがずっと身近になる企画の二回目です。(第一回はこちらをご覧ください『ジャズがわかる超簡単!「ジャズの歴史」~①ジャズのはじまり』

 

前回は1900年~1920年ごろのおはなしでしたが、今回は主に1920年代~1930年代のおはなしとなります。

 

 

 

レコードが発明されて普及したことで、それまで生演奏でしか聴けなかったジャズがアメリカ全土、いや、世界中に広まりました。

 

ジャズがレコード化されたのはだいたい1920年代から。

 

 

そのころから、ジャズを第一回でご紹介したような少人数での演奏ではなく、もっとトランペットやサックスなどがたくさんいるような楽団(オーケストラ)が盛んになってきました。

 

 

 

ジャズでは少人数での演奏をコンボ大人数での演奏をビッグバンドといいます。

 

ちなみに少人数での演奏は、2人ならデュオ、3人ならばトリオ、4人ならカルテット、5人ならクインテット、6人ならセクステットといいます。(この呼び方はクラシックと同じです)

 

 

当時のジャズは主にダンス音楽として親しまれていました。

 

迫力あるビッグバンドでの演奏は、現在でいうとEXILEのような存在(?)かもしれませんね。

 

 

 

さて、ビッグバンドを率いてジャズの人気を爆発的にさせた立役者を4人取り上げたいと思います。

 

 

その人物とは

デューク・エリントン(左上)

カウント・ベイシー(右上)

ベニー・グッドマン(左下)

グレン・ミラー(右下)

です。

 

 

この4人は現在演奏されているビッグバンドにも大きな影響を与えているんです。

 

 

それでは簡単に各人物と代表曲の映像をご紹介しますのでお付き合いくださいませ。

 

 

 

◆デューク・エリントン(1899~1974)

 

デューク・エリントンはピアニストであり、作曲家でもあります。

 

 

彼を有名にしたのは、ニューヨークのハーレムにある「コットン・クラブ」というクラブでの「ジャングル・ショウ」のために作った音楽でした。

 

 

1929年に起こった世界恐慌のために不況で、仕事が減ったエリントンはイギリスに演奏旅行に出かけたのですが、そこで彼はイギリスでの彼の人気に驚きます。

 

特に当時の皇太子、後のウィンザー公がエリントンのレコードをすべて収集しておられたのにはとても喜んだそうです。

 

 

エリントンは「私のバンドは私自身の楽器」といっており、その自分のバンドのメンバーをほとんどクビにしたことがなかったといいます。

 

 

余談ですが、日本の作曲家、武満徹さんがロックフェラー財団の奨学金に応募したとき、「デューク・エリントンに師事したい」と主張したのに冗談と思われたそうです。

 

 

 

では彼の代表曲のひとつ「A列車で行こう(Take the 'A' Train)」をお聴きください。

 

この曲は1939年エリントンがビリー・ストレイホーンというピアニストに依頼して作った曲です。

 

 

他にも「キャラバン」「スイングしなけりゃ意味ないね」「イン・ア・センチメンタル・ムード」などエリントン楽団の代表曲はたくさんあります。

 

 

 

◆カウント・ベイシー(1904~1984)

 

カウント・ベイシーはもともとジャズ・ピアニスト。

 

 

1936年にニューヨークでカウント・ベイシー楽団を結成しました。

 

彼は数多くのスター・プレイヤーを抱えて、「ワン・オクロック・ジャンプ」などのヒット曲を世に出しました。

 

 

デューク・エリントンほどの派手さはないかもしれませんが、彼は第二次大戦後も世界中で演奏旅行を行うなど、ジャズの普及に大きな功績をあげたひとりといえます。

 

 

 

では、「ワン・オクロック・ジャンプ(One O'Clock Jump)」をどうぞ。

 

 

余談ですが、テレビ番組『人志松本のすべらない話』のテーマ曲はカウント・ベイシー楽団の演奏を使ってます。

 

 

 

◆ベニー・グッドマン(1909~1986)

 

ベニー・グッドマンは抜群にうまいクラリネット奏者でもありました。

 

 

1935年に楽団を結成し、ニューヨークからロサンゼルスまで汽車で大陸横断の演奏旅行にでかけ成功をおさめました。

 

さらに、当時家庭に普及してきたラジオの全国放送にベニー・グッドマン楽団はたびたび出演したことで、ベニー・グッドマンの音楽が全米で大人気となりました。

 

 

そのころはちょうど大不況から回復しはじめたころ。

 

人々はグッドマンの音楽を「スウィング」とよび、彼の明るいダンス音楽をまるで「世直し音楽」かのようにとらえたのでした。

 

 

1938年には、それまでクラシックしか演奏が認められなかったカーネギーホールではじめてジャズのコンサートを開いたのも、グッドマンの功績でしょう。

 

 

白人のグッドマンは当時黒人差別が多かった音楽業界では珍しく、積極的に優秀なミュージシャンを人種を問わず雇ったのでも有名です。

 

 

 

では代表曲のひとつ「シング・シング・シング」をどうぞ。来日したときの演奏です。

 

 

 

 

◆グレン・ミラー(1904~1944)

 

グレン・ミラーはトロンボーン奏者でもありました。

 

 

1937年に「グレン・ミラー・オーケストラ」を結成すると、「ムーンライト・セレナーデ」「茶色の小瓶」「イン・ザ・ムード」などの曲で大ヒットを飛ばしました。

 

 

ところが1944年、軍隊の慰問演奏のためイギリスからフランスへ向かう途中、彼の乗った飛行機がなぜか消息を絶ってしまったのでした。

 

 

グレン・ミラーの生涯は1954年に映画『グレン・ミラー物語』として公開され、日本でもヒットしました。

(ちなみに『グレン・ミラー物語』の大ヒットをうけて、先ほどのベニー・グッドマンの半生を描いた『ベニー・グッドマン物語』も作られましたが、こちらはイマイチだったようです)

 

 

 

それではグレン・ミラー・オーケストラの「イン・ザ・ムード」をお楽しみください。

 

 

 

いかがでした?どれもどこかで聴いたことがある曲ですよね。

 

 

次回はジャズの新しい流れ「ビ・バップ」の誕生についてご紹介する予定です。

 

お楽しみにウインク

 

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