自分を幸せにする脳と心からのヒント

自分を幸せにする脳と心からのヒント

脳科学と心理学に基いたカウンセリングやセミナーをご提供している医学博士の心理カウンセラー永井康雄です。自分らしく生きることで幸せになるヒントなどをお届けします。

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だんだんと歳を重ねるにつれて
若いころとはまた違ったいろんな問題が出てきます。
 
 
体の不調
配偶者との関係
子どもとの関係
結婚相手について
お金の問題
仕事上での役割の変化・・・
 
 
そういったことから
「中年以降はストレスがさらに高まる」
と考えるのは当然だと思います。
 
 
 
ところが、様々な研究結果から、
より幸せな生き方ができる
可能性があるのは中年以降のようなんです。
 
 
 
スタンフォード大学のローラ・カーステンセンが10年間に約8000人に対して行った調査によると
 
35歳から65歳の間、特に40歳から60歳の間で、ほとんどの人がますます幸せを感じるようになってきたと答えたそうです。
 
 
 
中年以降になると
ストレスがあってもうまく対処できている人が多そうです。
 
 
 
では中年以降の脳の中で
いったい何が起きているのでしょう?
 
 
どうも中年以降の脳では
物事の中にパターンをみつける能力が
あがっているようなんです。
 
 
 
この「認知パターン」の能力で
もっとも身近なのが
「おやじギャグ」でしょうね。
 
 
「おやじ」になると、若い時よりも
言葉のパターンが増えてきます。
 
すると、似た言葉があると
自然とそれらをつなぎ合わせることができます。
 
だから、例えば
「まいったね~、でもこれは自分がまいたたね~」
とか出てくるわけです。(これ僕のおやじギャグ)
 
 
 
おやじギャグに限らず、
年齢を重ねることによって
物事からパターンをつかみとるのが上達するんです。
 
 
これはつまり
物事の全体像をつかみとる能力
問題解決能力
があがるとも考えられます。
 
 
 
ですから、先ほどの研究結果のように、中年以降ではストレスにより対処できている人が多いのかもしれません。
 
 
 
もっと脳を細かくみると
こんなことも明らかになってきました。
 
 
神経細胞の繊維には、
それを覆うような脂質(ミエリンといいます)が存在します。
 
これは電線を巻いている樹脂の皮膜のようなもので、絶縁体の役割があります。
 
電気が途中で漏れると信号の効率が下がってしまう。
 
それを防ぐ役割があるわけです。
 
ミエリンは高等生物ほど多いといわれています。
 
 
 
で、このミエリンが、前頭葉や側頭葉(思考や言語に関わる重要な領域)で中年になっても増加し続けることがわかったんです。
 
 
なんだかワクワクしてきませんか?
 
 
 
年齢を重ねることって
実はすばらしい能力が得られるということ。
 
 
そういうことがわかると
「年をとると臨機応変に対処できない」
というのは単なる「迷信」ということになります。
 
 
 
だから
「今の問題を解決できない」
「自分はストレスには弱い」
というのは年齢が上にいくにつれて
そうではなくなる可能性があるわけです。
 
 
実際、年齢を重ねるにつれて
より楽観的になったというケースも多いようです。
 
(もちろん一人では対処できないような問題やストレスは、専門家に相談してみるのもよい方法でしょう)
 
 
 
科学的にみても
人は一生成長をつづけることができる・・・
 
このことを当たり前に感じているだけで
幸せに暮らせる確率もずっとあがるかもしれませんね。
 

 

脳と心のカウンセラー、やっちゃん先生こと永井康雄でした。

 

(参考:『年をとるほど賢くなる「脳」の習慣』、バーバラ・ストローチ著、浅野義輝訳、日本実業出版社刊)

 

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脳と心のカウンセラー、やっちゃん先生こと永井康雄です。
 

 

 

簡単な歴史とスタイルの違いがわかっているだけで、ジャズがずっと身近になる企画の二回目です。(第一回はこちらをご覧ください『ジャズがわかる超簡単!「ジャズの歴史」~①ジャズのはじまり』

 

前回は1900年~1920年ごろのおはなしでしたが、今回は主に1920年代~1930年代のおはなしとなります。

 

 

 

レコードが発明されて普及したことで、それまで生演奏でしか聴けなかったジャズがアメリカ全土、いや、世界中に広まりました。

 

ジャズがレコード化されたのはだいたい1920年代から。

 

 

そのころから、ジャズを第一回でご紹介したような少人数での演奏ではなく、もっとトランペットやサックスなどがたくさんいるような楽団(オーケストラ)が盛んになってきました。

 

 

 

ジャズでは少人数での演奏をコンボ大人数での演奏をビッグバンドといいます。

 

ちなみに少人数での演奏は、2人ならデュオ、3人ならばトリオ、4人ならカルテット、5人ならクインテット、6人ならセクステットといいます。(この呼び方はクラシックと同じです)

 

 

当時のジャズは主にダンス音楽として親しまれていました。

 

迫力あるビッグバンドでの演奏は、現在でいうとEXILEのような存在(?)かもしれませんね。

 

 

 

さて、ビッグバンドを率いてジャズの人気を爆発的にさせた立役者を4人取り上げたいと思います。

 

 

その人物とは

デューク・エリントン(左上)

カウント・ベイシー(右上)

ベニー・グッドマン(左下)

グレン・ミラー(右下)

です。

 

 

この4人は現在演奏されているビッグバンドにも大きな影響を与えているんです。

 

 

それでは簡単に各人物と代表曲の映像をご紹介しますのでお付き合いくださいませ。

 

 

 

◆デューク・エリントン(1899~1974)

 

デューク・エリントンはピアニストであり、作曲家でもあります。

 

 

彼を有名にしたのは、ニューヨークのハーレムにある「コットン・クラブ」というクラブでの「ジャングル・ショウ」のために作った音楽でした。

 

 

1929年に起こった世界恐慌のために不況で、仕事が減ったエリントンはイギリスに演奏旅行に出かけたのですが、そこで彼はイギリスでの彼の人気に驚きます。

 

特に当時の皇太子、後のウィンザー公がエリントンのレコードをすべて収集しておられたのにはとても喜んだそうです。

 

 

エリントンは「私のバンドは私自身の楽器」といっており、その自分のバンドのメンバーをほとんどクビにしたことがなかったといいます。

 

 

余談ですが、日本の作曲家、武満徹さんがロックフェラー財団の奨学金に応募したとき、「デューク・エリントンに師事したい」と主張したのに冗談と思われたそうです。

 

 

 

では彼の代表曲のひとつ「A列車で行こう(Take the 'A' Train)」をお聴きください。

 

この曲は1939年エリントンがビリー・ストレイホーンというピアニストに依頼して作った曲です。

 

 

他にも「キャラバン」「スイングしなけりゃ意味ないね」「イン・ア・センチメンタル・ムード」などエリントン楽団の代表曲はたくさんあります。

 

 

 

◆カウント・ベイシー(1904~1984)

 

カウント・ベイシーはもともとジャズ・ピアニスト。

 

 

1936年にニューヨークでカウント・ベイシー楽団を結成しました。

 

彼は数多くのスター・プレイヤーを抱えて、「ワン・オクロック・ジャンプ」などのヒット曲を世に出しました。

 

 

デューク・エリントンほどの派手さはないかもしれませんが、彼は第二次大戦後も世界中で演奏旅行を行うなど、ジャズの普及に大きな功績をあげたひとりといえます。

 

 

 

では、「ワン・オクロック・ジャンプ(One O'Clock Jump)」をどうぞ。

 

 

余談ですが、テレビ番組『人志松本のすべらない話』のテーマ曲はカウント・ベイシー楽団の演奏を使ってます。

 

 

 

◆ベニー・グッドマン(1909~1986)

 

ベニー・グッドマンは抜群にうまいクラリネット奏者でもありました。

 

 

1935年に楽団を結成し、ニューヨークからロサンゼルスまで汽車で大陸横断の演奏旅行にでかけ成功をおさめました。

 

さらに、当時家庭に普及してきたラジオの全国放送にベニー・グッドマン楽団はたびたび出演したことで、ベニー・グッドマンの音楽が全米で大人気となりました。

 

 

そのころはちょうど大不況から回復しはじめたころ。

 

人々はグッドマンの音楽を「スウィング」とよび、彼の明るいダンス音楽をまるで「世直し音楽」かのようにとらえたのでした。

 

 

1938年には、それまでクラシックしか演奏が認められなかったカーネギーホールではじめてジャズのコンサートを開いたのも、グッドマンの功績でしょう。

 

 

白人のグッドマンは当時黒人差別が多かった音楽業界では珍しく、積極的に優秀なミュージシャンを人種を問わず雇ったのでも有名です。

 

 

 

では代表曲のひとつ「シング・シング・シング」をどうぞ。来日したときの演奏です。

 

 

 

 

◆グレン・ミラー(1904~1944)

 

グレン・ミラーはトロンボーン奏者でもありました。

 

 

1937年に「グレン・ミラー・オーケストラ」を結成すると、「ムーンライト・セレナーデ」「茶色の小瓶」「イン・ザ・ムード」などの曲で大ヒットを飛ばしました。

 

 

ところが1944年、軍隊の慰問演奏のためイギリスからフランスへ向かう途中、彼の乗った飛行機がなぜか消息を絶ってしまったのでした。

 

 

グレン・ミラーの生涯は1954年に映画『グレン・ミラー物語』として公開され、日本でもヒットしました。

(ちなみに『グレン・ミラー物語』の大ヒットをうけて、先ほどのベニー・グッドマンの半生を描いた『ベニー・グッドマン物語』も作られましたが、こちらはイマイチだったようです)

 

 

 

それではグレン・ミラー・オーケストラの「イン・ザ・ムード」をお楽しみください。

 

 

 

いかがでした?どれもどこかで聴いたことがある曲ですよね。

 

 

次回はジャズの新しい流れ「ビ・バップ」の誕生についてご紹介する予定です。

 

お楽しみにウインク

 

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「ジャズに興味があるけど、よくわからないから敬遠しがち」とよくききます。

(ジャズの大ざっぱな聴き方については、過去記事の『2分でわかるジャズの聴き方』をご覧ください。)

 

 

僕がどうやってジャズをよく聴くようになったかをふり返ってみると、ラジオでジャズの歴史を紹介する番組を聴いていたことがポイントのような気がします。

 

 

「この時代にこういったスタイルのジャズが生まれた」

「この時代のキーパーソンはこの人」

といったことがわかるだけで、

ずっとジャズが身近に感じられた経験があります。

 

 

 

というわけで、今回からたったの4回で超簡単(?)にジャズの歴史をご紹介しようと思いますのでお付き合いくださいね。

 

 

流れとしては大まかにこのように分けてみました。

 

①1900年~1920年代: ジャズのはじまったころ

②1930年代: ジャズを流行させた4人のキーパーソン

③1940年代: ビ・バップの誕生

④1950年代~: モダン・ジャズの進化

 

 

簡単な説明と代表的な音楽の動画で、「ざっくり」イメージを持っていただくのが目的ですので、ゴリゴリのジャズ・マニアにはお叱りを受けるかもしれませんがご容赦をてへぺろ

 

 

 

それでは、今回のテーマ「ジャズのはじまり」のおはなしを始めます~♪

 

 

今回は1900年ごろから1920年代あたりまでに生まれたジャズを取り上げます。

 

キーワードは「デキシーランド・ジャズ」と「ルイ・アームストロング」です。

 

 

 

◆デキシーランド・ジャズ

 

ジャズはニューオリンズからはじまったとされています。

 

ニューオリンズはアメリカ南部、ルイジアナ州の街です。

 

 

ニューオリンズは最初はスペイン人が占領していましたが、後にフランス、そしてアメリカの領土になったところ。

 

ですから、ここには世界のあらゆる文化がミックスされて発展したわけでして、ヨーロッパのマズルカやポルカなどに黒人特有のノリの交えた音楽が元のようです。

 

さらに、南北戦争で敗れた南軍の軍楽隊が残した楽器を安く手に入れた黒人がブラスバンドを結成し、お金をかせぐようになりました。

 

これこそがジャズのはじまりだといわれています。

 

 

 

このころのニューオリンズで演奏されていたジャズのスタイルは「デキシーランド・ジャズ」と呼ばれています。

 

 

 

基本的にはこんな編成となっています。

 

ピアノ、バンジョー、ドラムス、コントラバス(ベース)などリズム・セクション(リズムを刻むメンバー)に加えて、トランペット(またはコルネット)、トロンボーン、クラリネットなどがテーマにそった即興演奏を行うというものです。

 

この基本的な編成は、現代よく演奏されている「モダン・ジャズ」の演奏でも100年以上前と変わっていないのは驚きです!

 

 

 

では、実際にデキシーランド・ジャズの代表的な演奏をご覧ください。

 

クラリネットのジョージ・ルイス率いるメンバーによる「世界は日の出を待っている」という曲をどうぞ。

 

 

 

デキシーランド・ジャズは消え去ってしまったわけではなく、今でも世界中で演奏され愛されています。

 

有名な「聖者の行進」などもデキシーランド・ジャズの印象がありますよね。

 

 

 

◆ルイ・アームストロングの影響

 

ジャズときいて真っ先に思い浮かぶ人物というと、やはりルイ・アームストロングではないでしょうか?

 

 

サッチモ(がま口)という愛称で呼ばれていたルイ・アームストロングは1901年ニューオリンズに生まれました。

 

サッチモは子どものころ、遊び心でピストルを発砲して少年院に送られました。

 

そこでコルネット(トランペットによく似た少し小型の楽器)を習ったそうです。

 

コルネットはこれ↓

 

 

その後シカゴに渡って、有名コルネット奏者のキング・オリヴァーの元で第2コルネット奏者として働いて、一躍注目を浴びます。

 

1924年にはニューヨークへ、その後またシカゴに戻って自身のグループを結成しました。

 

1971年にニューヨークで亡くなるまで、たくさんの人を音楽で楽しませた20世紀を代表する音楽家のひとりといえるでしょう。

 

 

サッチモが他のミュージシャンに与えた影響がすごいんです。

 

それまであまり使われなかった高音を使った演奏や彼独特のノリは、後のトランペット、サックス、トロンボーン、ピアノ奏者などの演奏スタイルに多大な影響を与えました。

 

また、彼の歌い方や「スキャット」(ドゥビドゥバいうこと)は、歌手にも影響を与えたのでした。

 

 

 

そんなサッチモの32歳ごろの映像が残っています。

 

デキシーランド・ジャズやその後登場したジャズとはノリが全然違うと思います。

 

絵画の世界でのピカソ、ポップスでのマイケル・ジャクソンくらい(?)のインパクトでしょうね。

 

 

ではお楽しみください。曲は「ダイナ」。

 

 

 

いかがでしたか?

 

次回はジャズが世界中で広まるきっかけとなった主要なミュージシャン4人をご紹介する予定です。

 

お楽しみにウインク

 

 

素敵な一週間をお過ごしください。

 

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