今日は、『ONE PIECE』(ワンピース)の中の【コトバ】から。。。
以前、「ワンピース」大好き人間の Mちゃんからの勧めで「ワンピース」を読んでいた時期があります。Mちゃんから借りてね
最初の印象は、尾田栄一郎さんは、絶対に 宇宙人だと思いましたね~
「あなた、宇宙転生の魂の持ち主でっしょ」って思いました、ハイ。
でも、その宇宙人さん、あまりにも頭が良すぎて、途中ですんなりストーリーが入ってこなくなり、読むのを断念しちゃいましたが・・・
さてさて、ワンピースの膨大な名言の中からのコトバです。
『己の行動に罪を感じた時、人は最も弱くなる。』
ワンピース27巻(第255話)より
なるほど~ですよね。
自分の愚かさに耐え切れず、
【ココロ】が粉々になったような、(絶対にならないですけどね)
あるいは、消えてなくなりたい衝動に駆られそうですよね。
きっと、最も弱くなると生きていけない感じがして、
「己の行動に罪を感じないように」=(ココロに痛みや傷を感じないように)
色んな方法で普段、自己防衛をしてるのかもしれませんね。
何か問題があると他人のせいにしたり、
逆に全て自分が悪いからこうなると言い聞かせたり、
自分を正当化する言い訳をしたり、
先に人を攻めておいて自分を有利な立場にしておいたり…もそうですかねぇ
そして、今日はもう一つ【コトバ】を。
2010年6月に高松で開催された「全国教誨師大会」に司会の仕事でお邪魔したときに、
印象に残った【コトバ】です。
この日は、全国の刑務所で教誨師として活動されている方が集まっていました。
*教誨…受刑者の精神的救済などを目的にした活動
*教誨師…教誨を行う僧侶、神職、牧師などの方々。
大会テーマ『心に響く教誨を目指して』
シンポジウムテーマ『今、私の教誨はこれでいいのか』
このシンポジュームのパネラーで参加されていた
神戸刑務所 アイルランド人教誨師 さんのコトバです。
『教誨は、1人の人間の「魂の救い」。
自分の犯した罪を正しく理解し、そして、悔い改める。
これで、100パーセント 人は変われる。』
『自分の罪、ようするに心の傷の問題をどう解決するか?
これが、魂の救い。』
「自分の犯した罪」「自分の罪」というのは、自分自身を愛せてないことにあると思います。
*ここでは、「受刑者の罪」とは、別に考えますね。
そして、その罪を
「正しく理解し、悔い改める」とおっしゃっているのです。
わたしが、自分自身を愛するために、とても役にたったことは、
「これは、正しい」
「これは、正しくない」
というのは、人間が勝手に決めたことで、
(もちろん、人の命を奪ってはいけないですよそういうのは、別ですよ
)
「善」も「悪」もあってないようなものということです。
あってないようなものとは、人はその両方を持っていて、
その両方が、共存しているということです。
そして、そのことを正しく理解できたら、その両方が一つに統合され、
その全てが自分だと分かるんです。
統合された自分、全てが自分だと分かると「善」も「悪」もなくなります。
*前回ブログに書いた、
「ただ、知ればいい」ジャッジはいらないとは、こういうことです
良く聴く「そのままの自分でいいんだよ」っていうのもそうですね
そうすると、自分をいつも卑下したり、つっぱたり、愛せてなかったことが、
自分をどれだけ苦しめていたかを理解し、そして、それを悔い改めることにより、
本当の自分への変化・変容(本来の自分に戻る)が始まるのです。
今まで愚かだと思っていた自分、嫌いだと思っていた自分をしっかりと見つめるのは、
苦痛かもしれません。
◎過去のわたしの記録日記から◎
気付きとは、気付いた時に『これだったのか!』と一旦納得するが、それから、また、
更なる深い気付きがあり、また、気付いていく。
その繰り返しで、本当に自分が知るべき気付きに出会える。
一枚一枚、薄皮を剥ぐような作業。一枚目があるからこそ、次の一枚がある。
時間が掛かるもの。
もう、ハッキリとはこの時の状況を覚えていませんが、
「気づき」とは、自分を苦しめていたものが何だったか?への「気づき」だったと思います。
そして、本当の気づきは、体験からしか起こらないので、自分でやってみるしかないんです。
いわゆる、腑に落とす作業です。
最近、わたしの周りにも苦しそうに見える方が増えてきている気がするので、
こんな記事も時々書いていこうと思ってます